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MIND により Mind Map: MIND

1. 気になる本たち

1.1. 悲しき熱帯Ⅰ レヴィ=ストロース

1.2. 悲しき熱帯Ⅱ レヴィ=ストロース

1.3. かくれた次元 エドワード・ホール

1.4. 社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門 ブルーノ・ラトゥール

1.5. ルーラル・ランドスケープ・デザインの手法 農に学ぶ都市環境づくり 進士五十八・一場博幸・鈴木誠

1.6. イタリア都市再生の論理 陣内秀信

1.7. 都市を読む*イタリア 陣内秀信

1.8. 水都学Ⅰ~Ⅴ 陣内秀信・高村雅彦

1.9. 水都ヴェネツィア その持続的発展の歴史 陣内秀信

1.10. ヴェネツィアのテリトーリオ――水の都を支える流域の文化 樋渡彩+法政大学陣内秀信研究室

1.11. ヴェネツィアとラグーナ――水の都とテリトーリオの近代化 樋渡彩

1.12. 人間のための街路 バーナード・ルドフスキー

1.13. テクトニック・カルチャー ――19-20世紀建築の構法の詩学 ケネス・フランプトン

1.14. 反美学―ポストモダンの諸相 ハル・フォスター

2. 本たち

2.1. 読書中

2.1.1. 20世紀の思想から考える、これからの都市・建築 横浜国立大学大学院/建築都市スクールY-GSA

2.1.1.1. 建築が置かれている歴史的・社会的・都市的背景を学びながら、空間を論理的に思考することが大切である

2.1.1.1.1. アンリ・ルフェーブル

2.1.1.1.2. コーリン・ロウ

2.1.1.1.3. ケネス・フランプトン

2.1.1.1.4. アルド・ロッシ

2.1.1.1.5. クリストファー・アレグザンダー

2.1.1.1.6. レム・コールハース

2.1.2. Creative Neighborhoods 横浜国立大学大学院/建築都市スクール’’Y-GSA’’

2.1.2.1. ’’Initiative’’:都市のプレイヤー都はだれなのか?

2.1.2.1.1. エンパワーメント

2.1.2.1.2. 社会投資としてのハウジング

2.1.2.1.3. 関わりを生む時間と空間の余白

2.1.2.2. ’’Commons’’:誰が都市にアクセスし、何を共有するのか?

2.1.2.3. ’’Informality’’:住民の自発性、創造性をどのように取り組んでいくのか

2.1.3. アメリカ大都市の死と生 ジェイン・ジェイコブズ

2.1.3.1. 現在の都市計画および再開発に対する挑戦

2.1.3.1.1. 歩道について

2.1.3.1.2. 近隣公園について

2.1.3.1.3. 近隣住区(Neighborhood?)について

2.1.3.1.4. 都市の多様性について

2.1.4. 人間の街:公共空間のデザイン ヤン・ゲール

2.1.5. 地域社会圏主義 山本理顕

2.1.6. 建築家なしの建築 バーナード・ルドフスキー

2.1.6.1. 建築史の正系から外れていた建築の未知の世界を紹介することによって、建築芸術についての私たちの狭い概念を打ち破ることを目指している

2.1.6.1.1. 風土的〔vernacular〕 無名の〔anonymous〕 自然発生的〔spontenous〕 土着的〔indigenous〕 田園的〔rural〕

2.1.7. 集落の教え 100 原広司

2.1.7.1. 集落は、人間が費やしたエネルギーの総体のかなりの部分を占めた出来事である

2.1.7.1.1. 建築家なしの建築に通づるものがある #風土的〔vernacular〕無名の〔anonymous〕自然発生的〔spontenous〕土着的〔indigenous〕 田園的〔rural〕

2.1.8. 生きられた家 多木浩二

2.1.8.1. 「生きられた家」は、家を作り、住みこなす行為に住まい手が能動的に関わり、住民の主体性と建築が誘導した時に現れる

2.1.8.1.1. 1 生きられた家

2.1.8.1.2. 2 空間の織り目

2.1.8.1.3. 3 住みつくかたち

2.1.8.1.4. 4 欲動と記号

2.1.8.1.5. 5 象徴とパラドックス

2.1.9. 公共性 齋藤純一

2.1.9.1. はじめに

2.1.9.1.1. 公共的空間は、あらゆる人々の「席」=「場所」が設けられている空間である

2.1.9.1.2. アーレントは、公共性が失われた生の境遇を「私的」(private)と形容する

2.1.9.1.3. 公共的空間とは、自らの「行為」と「意見」に対して応答が返される空間である

2.1.9.2. 「公共性」の位置づけ

2.1.9.2.1. 「公共性」は3つに大別できる

2.1.9.2.2. 公共性と共同体

2.1.9.3. 現われの空間

2.1.9.3.1. アーレントにおいて、公共性は、二つの次元、「現われの空間」および「世界」にかかわる

2.1.9.3.2. 「現われの空間」とは、私が他社に対して現われ他社が私に対して現れる空間、である

2.1.9.4. 共通世界

2.1.9.4.1. アーレントの言う公共性には「現われの空間」とは異なったもう一つの次元がある

2.1.9.5. 社会的なものへの批判と陥穽

2.1.9.5.1. アーレントが公共的空間を救い出そうとしているのは、「社会的なもの」(the social)の支配からである

2.1.10. 都市のエージェントはだれなのか 北山恒

2.1.10.1. 第Ⅰ部 都市のエージェントはだれなのか

2.1.10.1.1. 森山邸

2.1.10.1.2. 木造市街地の建て替えサイクルは26年

2.1.10.1.3. 「公ー共ー私」をめぐる構造変化

2.1.10.1.4. 現代の日本では空間を管理する所轄官庁によって都市空間は切り分けられている

2.1.10.2. 第Ⅱ部 新しいタイポロジーのスタディ

2.1.10.2.1. 集合住宅はプライバシーを原理として空間が組み立てられている

2.1.10.2.2. 建築が人間の関係性をデザインするものであるとするならば、 それは視線をデザインすることである

2.1.10.2.3. 権力装置としての都市

2.1.11. 人間の条件 ハンナ・アーレント

2.1.12. 権力の空間/空間の権力 山本理研

2.1.13. アナザーユートピア 「オープンスペース」から都市を考える 槇文彦・真壁智治

2.1.13.1. 槇文彦

2.1.13.1.1. オープンスペースには我々の都市生活に対するさまざまなポテンシャルがある

2.1.13.2. 真壁智治

2.1.13.3. 青木淳

2.1.13.4. 陣内秀信

2.1.13.5. 広井良典

2.1.13.6. 塚本由晴

2.1.13.7. 北山恒

2.1.13.8. 手塚貴晴・手塚由衣

2.1.13.9. 饗庭伸

2.1.13.10. 福岡孝則

2.1.13.11. 田中元子

2.1.13.12. 泉山塁威

2.1.13.13. 伊藤亜紗

2.1.13.14. 槇文彦

2.1.14. コミュニティを問い直す 広井良典

2.1.14.1. コミュニティへの問い

2.1.14.1.1. コミュニティ=人間が、それに対して何らかの帰属意識をもち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支えあい)意識が働いているような集団

2.1.14.1.2. コミュニティは三つに区別できる

2.1.14.1.3. 人口増という要因と地域コミュニティ

2.1.14.1.4. 人間にとってコミュニティとは何か

2.1.15. 定常型社会 新しい「豊かさ」の構想 広井良典

2.1.15.1. 都市への離陸

2.1.16. 都市をたたむ 饗庭伸

2.1.16.1. 都市は何のためにあるのか

2.1.16.1.1. 都市の起源

2.1.16.1.2. 都市を手段と考える

2.1.16.1.3. 都市計画とはなにか

2.1.16.1.4. 都市と脱貨幣

2.1.16.1.5. 都市への4つの態度

2.1.16.1.6. 本書の目的と構成

2.1.16.2. 都市を動かす人口の波

2.1.16.2.1. 都市を計画的にたたむ

2.1.16.2.2. 日本の人口の特徴

2.1.16.2.3. 誰が都市を使うのか想像する

2.1.16.2.4. まちづくりの中で議論する

2.1.16.2.5. 人口減少を過度におそれない

2.1.16.3. 縮小する都市空間の可能性

2.1.16.3.1. 都市はスプロール的に拡大する

2.1.16.3.2. 都市はスポンジ的に縮小する

2.1.16.3.3. スポンジ化の持つ可能性

2.1.16.4. 都市をたたむための技術

2.1.16.4.1. コンパクト対スポンジ

2.1.16.4.2. 都市計画の3つの手法とマスタープラン

2.1.16.4.3. 都市拡大期の都市計画

2.1.16.4.4. 中心✕ゾーニングモデル

2.1.16.4.5. 全体✕レイヤーモデル

2.1.16.5. 都市のたたみかた

2.1.16.5.1. プロジェクトYの特徴

2.1.16.5.2. 空き家活用まちづくり計画とランド・バンク事業の特徴

2.1.16.5.3. スポンジ対コンパクト

2.1.16.6. 災害復興から学ぶ

2.1.16.6.1. 区画整理+バラックモデル

2.1.16.6.2. そもそもどういう社会だったか

2.1.16.6.3. 区画整理+バラックモデルの終わり

2.1.16.7. 都市をたたむことの先にあるもの

2.1.16.7.1. 都市をたたむこと

2.1.16.7.2. たたまれた空間における都市計画

2.1.17. 社会的共通資本 宇沢弘文

2.1.17.1. 社会的共通資本とは、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、 人間的に魅力のある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する

2.1.17.1.1. ゆたかな社会とは

2.1.17.1.2. 社会的共通資本の考え方

2.1.17.1.3. 農業と農村

2.1.17.1.4. 都市を考える

2.1.18. 都市への権利 アンリ・ルフェーブル

2.1.18.1. 都市に住まう私たちの集合的な力で都市を変化させ、そのことによって、私たち自身が変化する可能性を示した書物である

2.1.18.2. 60年代のルフェーブルの危機意識とは?

2.1.18.2.1. ルフェーブルは、都市の歴史を、政治都市ー商業都市ー工業都市ー都市社会(social urbaine)の変遷として捉えた

2.1.18.2.2. 都市をめぐる集中ー分散、統合ー隔離とは、国家の都市計画や民間資本の都市開発による空間の配置や編成によってもたらされるものにほかならない

2.1.18.2.3. ルフェーブルは、使用価値を帯びた「作品」としての都市を獲得する権利や、都市の中枢性から排除されないことへの権利を「都市への権利」として唱えた。 マルクスの資本論における商品および疎外への概念を、都市論へと拡張して展開した

2.1.18.2.4. 「都市への権利」とは、単なる住民参加とは異なる。

2.1.18.3. ルフェーブルの都市の捉えかた

2.1.18.3.1. ルフェーブルにとって、都市とは地理的な境界を持ったものでもなければ、社会的出来事の容器でもない。

2.1.18.3.2. 都市とは、人々の活動や経験の媒介(メディア)であると同時にその結果なのである。

2.1.18.4. ルフェーブルの議論は、なぜ抽象的で難解か

2.1.18.4.1. ルフェーブルは「体系化」を嫌った

2.1.18.4.2. まず「感覚的なもの」から出発し、具体的な抽象へと至ろうとする。

2.1.19. 建築史への挑戦 住居から都市、そしてテリトーリオヘ 陣内秀信・高村雅彦

2.1.19.1. 0 陣内秀信

2.1.19.1.1. 都市、さらにテリトーリオに受け継がれた時間の集積、歴史の重なり、地域の底力を掘り起こし、それに今日的な価値を与え、イメージ豊かに生活環境をつくることが重要

2.1.19.2. 2 伊藤毅・野口昌夫

2.1.19.2.1. 今すべきことは、「切断された相互の有機的関係を失った建築・都市・地域をつないで縫い合わせ、忘れられ隠れてしまった多種多様な地域資産を掘り起こして可視化し、本来のポテンシャルを引き出して、建築・都市・地域を再生する」ということ

2.1.19.2.2. チステルニーノが面白そう

2.1.19.3. 5 中谷礼仁

2.1.19.3.1. チュニスが面白そう

2.1.19.3.2. シャッカが面白そう

2.1.19.4. 6 高村雅彦

2.1.19.4.1. 日本は、都市の周辺に広がるテリトーリオ、田園、農村、あるいは小さな町や村、そういうものが全部ネットワーク化しながら水で結ばれ、水の循環系、舟運、人物と情報の伝達のすべてを含めてつながって、共通の経済圏や文化圏を形づくっていたはず

2.1.19.5. 8 北山恒

2.1.19.5.1. 資本主義の進行の中で個人は共同体から切り離され、社会の中で独立していく

2.1.20. セヴェラルネス+ 事物連鎖と都市・建築・人間 中谷礼仁

2.1.20.1. セヴェラルネス(いくつか性)⇒分岐点?

2.1.20.1.1. 事物の歴史

2.1.20.1.2. 強い技術

2.1.20.1.3. 弱い技術

2.1.20.1.4. 都市〈の〉建築

2.1.20.1.5. 転用と更新の違い

2.1.20.1.6. 縁起するセット ―― ツリーからセミラチスへ

2.1.20.1.7. 無自覚なプロセス

2.1.20.1.8. 変容を保証する同一性

2.1.20.1.9. 事物に潜在する一覧表

2.1.20.1.10. 場所と空間との違い

2.1.20.1.11. 先行形態

2.1.21. 街並みの美学 芦原義信

2.1.22. 続・街並みの美学 芦原義信

2.1.23. 東京の空間人類学 陣内秀信

3. その他

3.1. 建築雑誌 2020年5月号(難波和彦 著) アレグザンダー再発見

3.1.1. 「ノート」から「パタンランゲージ」へ

3.1.1.1. 「ノート」でアレグザンダーは、離散数学を建築デザインに適用し、複雑な設計条件を合理的な手順によって形に結び付ける手法を考察する

3.1.1.1.1. 設計条件のコンテクストを要素に細分化した後に、相互関係の複雑なネットワークに組み上げ、絡み合ったネットワークを相関分析を用いてグルーピングし、ダイアグラムに分解する手法である

3.1.1.2. 「ツリー」では長い時間を経て自然発生的に生まれた自然都市と、建築家や都市計画課が短期間に作り上げた人工都市との本質的な相違を、ツリーとセミラチスというシステムの康応特性の相違として捉えている

3.1.1.3. さらにセミラチスを人工的に作り出す方法として、膨大な実地調査の末に到達したのがパタンランゲージである

3.1.1.3.1. パタンは「ノート」におけるセミラチスのダイアグラムをユニット化したものである

3.1.2. マテリアライゼーション理論への展開可能性

3.1.2.1. 設計条件であるコンテクストのネットワークから形を導きだす初期の「ノート」の方法は、明らかに機能主義である

3.1.2.2. これに対して、パタンランゲージには機能主義からの微かなジャンプがある

3.1.2.2.1. パタンは出来事(event)と空間型(pattern)のセットとして記述されている

3.1.2.3. パタンランゲージは機能と形態がセットになった造形言語だが、機能と形態は入れ替え可能である

3.2. 10+1(連鎖都市研究会 著) 都市は連鎖する

3.2.1. 未読

4. 地域

4.1. 批判的地域主義

4.1.1. クリティカル・リージョナリズム(Critical Regionalism)。アメリカの建築批評家、K・フランプトンが提唱した概念。 建築における無批判なグローバリズムに対抗し、地域に密着したバナキュラー建築とモダン代建築を節合しようとする立場。初出は1983年の論文「批判的地域主義に向けて――抵抗の建築に関する六つの考察」で、後にハル・フォスターが編集したポストモダニズムの論文集『反美学』に収録された。 批判的地域主義の条件として、「場所に根ざした建築であること」「風土性(地勢、気候、光、コンテクストなど)を最大限に生かした建築であること」などが挙げられている。

4.2. 現代建築批評再考(千葉元生 著) 批判的地域主義に向けて――抵抗の建築に関する六つの考察 ケネス・フランプトン(ハル・フォスター編「反美学――ポストモダンの諸相」所収)

4.2.1. 地元の素材や伝統的な構法の採用=地域性の継承ということではない

4.2.1.1. 継承すべきはその地域にあった固有の生活や文化であるから、地域の生活と密接に結びつき形作られてきた形式、つまり「類型」という概念を建築の前提とすべきではないだろうか

4.2.1.1.1. 「類型」は長い年月をかけて形作られてきたが故に、変化に対する柔軟性を持ち、産業に組み込まれずに反復に耐えうる持続性を持っている

4.3. 10+1(五十嵐太郎 著) 批判的地域主義再考――コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム

4.3.1. 未読

5. 社会学と建築

5.1. 建築雑誌 2020年5月号(南後由和 著) 社会学の空間論的転換とマテリアリティ

5.1.1. 社会学は建築をどう扱ってきたのか

5.1.1.1. H.ルフェーブルの「空間の生産」を契機に「空間論的転回」と呼ばれる動向が進んだ

5.1.1.1.1. 空間論的転回は、「社会ー空間」という用語を用いて、社会が空間の在り方を方向付けていくと同時に、空間が社会の在り方を方向付けていく相互的関係に着目するもの

5.1.1.2. 社会学は空間に関して発言してこなかった

5.1.1.2.1. 社会学はユーザーである人間に関心があり、建築学は空間に関心を置いてきたといえる

5.1.1.3. ルフェーブルによる空間の位置づけ

5.1.1.3.1. 哲学、数学、物理学などにおいて論じられる空間は現実から切り離された純粋な空間であり、意識の対象となるものだった

5.1.1.3.2. それに対し、身体を介した経験、象徴、記憶、無意識などにも光を当てたのがルフェーブルである

5.1.1.3.3. ルフェーブルは、空間は透明な容器ではなく、支配階級によって操作され、資本主義が存続するための道具となっていることに警鐘を鳴らした

5.1.1.3.4. ルフェーブルは、マテリアリティは記号だ捉えていました

5.1.2. ひとり空間の都市論

5.1.2.1. メディアと建築の関係

5.1.2.1.1. 一つ目は、集合的記憶、権力、流行やライフスタイルなどが反映された「メディアとしての建築」

5.1.2.1.2. 二つ目は、雑誌や映画、最近ではInstagramなどにおいて表象される「メディアのなかの建築」

5.1.2.1.3. 三つめは、ドローイング、ダイアグラムや模型など、建築物に至るまでの建築的思考の翻訳過程が横断的に現れる「建築のメディア」

5.1.2.2. 様々なひとり空間

5.1.2.2.1. ロンドン

5.1.2.2.2. 日本

5.1.2.3. R.コールハースの「S,M,L,XL」に倣えば、空間サイズの二極化が起きている

5.1.2.3.1. ただし、Lサイズ以上の空間においても、群衆空間への参入離脱が容易であること、「ひとり」でいる状態と「みんな」でいる状態の選択可能性が担保されていることが重要である

5.1.3. 逆照射される建築

5.1.3.1. M.ハイデッガーが言うように、近代は「建てること」と「住まうこと」分離してきた

5.1.3.2. 「社会が建築をつくる」ことに関しては、ルフェーブルの文脈で言えば、建築は社会や生産様式を支えると同時に、それらによって支えられてもいるため、どちらが先かではなく、両者の関係自体を第三の視点から捉えることが必要

5.1.3.3. ルフェーブルは、社会ー空間は所与である「顕在的なもの」であると同時に、可能性の環境という「潜在的なもの」であると指摘している

5.1.3.4. 社会と建築の接点に関しては、顕在的/潜在的問題という軸と、顕在的/潜在的解き方という軸の四つの組み合わせによって説明することもできるのではないか

5.2. 建築雑誌 2020年5月号(山本理研 著) 建築空間と社会学

5.2.1. 「閾」と作法

5.2.1.1. 「閾」とは中間空間ではない

5.2.1.2. ハンナ・アーレントの言葉を援用すれば、住宅は私的領域(private realm)であり、集落の空間は公的領域(public realm)である

5.2.1.2.1. そいの両者が混ざり合わないように、住宅の空間構成、集落の空間構成はそれぞれ極めて注意深く作られている

5.2.1.3. 集落における一つの住宅は、ほぼ例外なく、公的領域に対して開かれた場所と家族の人たちだけが使う閉ざされた場所によって構成されている

5.2.1.3.1. 公的領域に対して開かれた場所では、公的な作法(behavior)を守ることが要求される

5.2.1.4. 「閾」とはつまり、私的空間の中の公的空間のことである

5.2.1.4.1. 私的空間の中にありながら公的な制約を受ける空間である

5.2.1.5. 「閾」という概念は、あらかじめ公的領域があり、私的領域があり、その中間に中間領域があるというような、活動の領域を単純にただ3つに切り分けるような考え方とは決定的に異なる

5.2.1.5.1. 機能に基づく切り分けではなく、作法によって使い分けられる

5.2.2. 「地域社会圏」という提案

5.2.2.1. 近代化によって街のかたちが変わり、かつてのコミュニティや作法が見えづらくなっている

5.2.2.1.1. コミュニティのメンバーにとっては、そのコミュニティの空間は公的空間だが、その同じ空間が外側から見ると排他的な私的空間のように見えるという、捻じれた関係になっている

5.2.2.2. 一度壊れてしまったコミュニティを取り戻すことは難しいが、それでもその空間構成に着目すれば、街ごとに何らかの手立てが考えられるはずである

5.2.2.2.1. つまり、それは一方で空間の問題であり、都市空間、建築空間の設計によって解決できることでもある

5.2.2.3. 「1住宅=1家族」は外に対してきわめて閉鎖的な住宅である

5.2.2.3.1. それは、家族によるセルフケアのための場所であり、消費生活のための場所である

5.2.2.3.2. 一方で、商業活層をする場所は日常生活から切り離され、グローバル経済の場所になり、地方都市の土地利用も地域経済のためではなく、大規模店舗やグローバル企業のために提供され切り売りされていった

5.2.2.4. 「地域共同体」という考え方は、住む場所と経済とをそのように切り離すのではなく、その地域に固有の経済と一緒に住む場所を考えるという考えかたである

5.2.2.4.1. 経済とは交換である

5.2.2.5. 「1住宅=1家族」という閉鎖的な住宅に住んでいるから、他者が鬱陶しいのである

5.2.2.5.1. だからこそ経済活動と共に住むことが必要である

5.2.3. 知と行為のプラトン的分離

5.2.3.1. プラトンは職人仕事のような手仕事に関係する種々の専門技術についての知識を「行動に密着した知識」、 そして知ることだけを目的とする知識を「純知的知識」と呼び、両者を明確に区別した

5.2.3.1.1. その上で、その純知的知識を持つものの優位を説いた

5.2.3.2. つまり、こうした"物化"の場面での「プラトン的分離」は官僚制的支配の根源なのだとアーレントは言う

5.2.3.2.1. "物化"されることによって、官僚制的支配があたかもそれに正当性あるかのように見えてしまう

5.2.4. 建築における"物化"とは何か

5.2.4.1. "物化"はmaterializationの邦訳であるが、アーレントは、本来目に見えないものを目に見える形にすることを"物化"と呼んでいる

5.2.4.1.1. 活動と言論と思考は、それ自体では何も生み出さず、活動が終わればただ消え去ってしまうのみなのであるが、それが"物化"されることで初めて、見られ、聞かれ、共同体記憶として共有されることが出来る

5.2.4.2. 建築に則していえば、materializationとは、物としての建築をつくることであり、それを"建築空間化"と呼ぶとする

5.2.4.2.1. 活動や言論や思考の建築空間化とは、そうした活動の舞台として建築空間を考えるという意味だといえる

5.2.4.3. ところが、産業革命以降の都市は、そうした舞台としての都市空間が急速に失われていった

5.2.4.3.1. データに則して機能的に空間が配置され、人々は効率的に移動し、機能的な空間の中で機能的に秩序立てられた人間であることを求められた

5.2.4.4. マテリアライゼーションとは、物としてのその建築の機能的な側面ではなく、記号的・意味的な側面、つまり人間の作法を規定する側面のことである

6. 公共性

6.1. 建築雑誌 2020年5月号(斎藤純一 著) 事物と場所の公共性

6.1.1. 「モノ」が人々の関与を逆に引き寄せる

6.1.1.1. ハンナ・アーレントは公共的=パブリックには二つの意味があると言っている

6.1.1.1.1. 一つは、意見と意見を交換する言説の空間

6.1.1.1.2. もう一つが、物質的な空間にかかわっていて、これは「世界」という言葉で表現されている

6.1.1.2. モノにはいくつかのエージェンシーがある

6.1.1.2.1. 一つは、認識的なもの

6.1.1.2.2. もう一つは、人々をで合わせ、人々を結び付ける機能

6.1.1.2.3. また、モノには逆に人々を切り離していく作用もある

6.1.1.2.4. さらに、モノというのは放っておくと劣化するので、修繕とか清掃など働きかけを求める

6.1.1.2.5. つまり、モノ(客体)は一定の自律性を持っていて、それに主体の関心や関与が引き寄せられていく

6.1.2. 「世界」の介在によって、異なる意見を知ることができる

6.1.2.1. アーレントは、「世界」に対して人々は異なったポジションを占めていて、誰も他の人のポジションを占めることはできない、という複数性(plurality)の条件を重視する

6.1.2.1.1. 「世界」に対して異なった見方をしている人は他者と意見交換をすることによってはじめて「世界」をよく理解することができる

6.1.2.2. パブリック・フォーラム論

6.1.2.2.1. 本来、広場とか駅前は言論とか表現の自由のために作られた空間ではないけれども、実際にフォーラムがあることによって、予期せぬ出会いが生まれる

6.1.2.3. 18世紀初めのロンドンには、相対的に安心できるような会話や対話の場所が、いわば公共性の具体的な施設としてあった

6.1.2.3.1. より小規模な、わりと日常的なところで意見交換ができる場を持つ、というのがより広い公共性にとっても重要である

6.1.3. バーチャル世界とリアルな世界で進む空間の隔離化

6.1.3.1. 法学者のキャス・サティーンは、インターネットの公共性を考えるときに、似た者同士のあいだで主張の過激さを競い合うようなグループに分極化する現象を指摘し、それを「集団極化」と呼ぶ

6.2. 建築雑誌 2020年5月号(岡部明子 著) 「みんなの空間」が、公共空間を葬り去る

6.2.1. 二曲論か、二元論か

6.2.1.1. J.オルテガが名答しているように、家から外に出てきた人たちがお互いに会う場としての公共空間が、都市を都市たらしめる

6.2.1.1.1. 公共空間はそれぞれの家から出てきた人たちが「ともに投げ込まれている」空間である

6.2.1.2. 我が国における公共空間をめぐる建築実践の主流は、〈公〉を「官」あるいは「国家のもの」と読み替え、それと〈私〉の両極の空間に戦略的に働きかけて、両者を手繰り寄せ共感の輪を広げて、魅力的な〈共〉すなわち「みんなの空間」を創出しようとするものが多い

6.2.1.3. アーレントは、〈私〉と〈公〉を隔てる壁を誘拐させるものとして〈社会〉をみた

6.2.1.3.1. 「社会が勃興したために、同時に、公的領域と私的領域が衰退した」その意味において、アーレントの批判する〈社会を〉日本は歓迎している

6.2.2. 境界とヘテロトピア

6.2.2.1. M.フーコーによる「異他なる空間」

6.2.2.1.1. ユートピアが非現実空間であるのに対して、ヘテロトピアという異他の空間は、鏡の中に立ち現れる空間のように、私たちが生きている場所とは異なり、その外の空間であって、かつ、現実に存在するものである

6.2.2.2. 都市をデザインの対象とするなら、ヘテロトピアはデザインの対象外だが実在する空間である「原っぱ」であり、さらには自然発生する人口減少化の空き地または途上国都市のスラムである

6.2.2.2.1. それらをデザインの対象にした瞬間に、ヘテロトピアは霧消する

6.2.3. 〈私〉と〈公〉の境界

6.2.3.1. 境界は異なるものを隔てつつ繋ぐ

6.2.3.1.1. 無関係に存在していた二つのものをつなぐことで差異を示す

6.2.3.2. 2つの異なった領域の中間にあるトランス空間は「閾」である

6.2.3.2.1. 山本理顕は、no man's landを「閾」と解釈し、それを古代切りした都市のなかに突き止めようとした

6.2.4. 空間と社会の関係性を超えて

6.2.4.1. 境界というひとつの空間は、公私二元論を大前提としたら、存在するはずのないものだが実在する難物だ

6.3. 建築討論(吉本憲生 著) 08「コモンズ」――開きながら閉じること

6.3.1. コモンズとは、中世イギリスに起源をもつ概念であり、元々は牧草地などの自然資源を共同管理する仕組みを指す言葉として用いられていた

6.3.1.1. 過去と現代のコモンズ概念に通底する特徴

6.3.1.1.1. 1. コモンズとは何らかの資源を共同で管理する仕組みである

6.3.1.1.2. 2. コモンズを支えるのは何らかのコミュニティである

6.3.1.1.3. 3. コモンズを支えるのはコミュニティのメンバーによって共有されるルールと規範である

6.3.1.1.4. 4. コモンズに特有なインセンティブの仕組みが重要である

6.3.1.2. 宇野は、コモンズ論と混同されがちな「公共性」論の差異を述べながら、コモンズ概念の特質を以下のように論じる

6.3.1.2.1. 公共性論が人と人の関係を焦点にあわせたものが多い一方で、コモンズ論は、具体的な対象(モノ、情報、空間)を媒介にしている点を重視する(上記1)

6.3.1.2.2. 公共性が「オープン」であることを志向するのに対し、コモンズ概念は公開性と閉鎖性の間の緊張関係によって支えられる(上記2,3)

6.3.1.2.3. コモンズは伝統的には、具体の人間関係や歴史的な慣行によって維持されたが、現代においては利他性のマインドに支えられ、それらを誘導していくインセンティブの仕組みが重要となる(上記4)

6.3.1.3. コミュニティ(メンバーシップ)を軸とした所有・管理のフレームワークに注目する必要がある

6.3.2. 「公/共/私」モデルと「私/公/共」モデル

6.3.2.1. 塚本由晴は「協治」という仕組みについて注目する

6.3.2.1.1. 「協治」とは(集落等において)「都会から人を呼んできて、祭などの行事や収穫作業を手伝ってもらったりするガバナンスの仕組み」のことである

6.3.2.2. これまでの建築における「公/私」の概念は、「公」と「私」が区分された上で、その間に「共」が位置づけられる「公/共/私」モデルで捉えられる

6.3.2.2.1. ここで提示されたコミュニティスペースは「私(公)有」のフレームが前提として先立っていたため、結果として管理・利用が大きく制限されることで、誰にとっても活用のしづらい空間となる傾向にある

6.3.2.3. こうした問題を乗り越えるためには、「公」と「私」の底部に「共」がある「私/公/共」モデルに認識を変容させる必要があると塚本は指摘する

6.3.2.3.1. この視点においては、「共」の空間とは、新たに創出されるものではなく、「公」と「私」に先立つ前提となる

6.3.3. 「公」と「私」を揺さぶる建築的諸実践

6.3.3.1. こうした「公」と「私」のフレームに対し、空間論的に応答するものが、山本理顕による「地域社会圏」の構想である

6.3.3.1.1. 山本は近現代に形成された「1住宅=1家族」を「コミュニティを拒絶する空間」に住む、「私生活の自由」のためにのみあるものとして批判し、新たに「『公的権力に参加する自由』のための場所」を構築するシステムとして「地域社会圏」を提案する

6.3.3.2. その提案の要素の一つの中に、「『閾』を持つ住宅」がある

6.3.3.2.1. “no man’s land”=「閾」とは、私的領域に含まれながらも公的領域に開かれた空間のことを指す

6.3.3.3. 他方、WEB上の情報・知識に焦点をあわせた現代的な「コモンズ」概念と建築の関係について親和性のある議論を展開しているのが、連勇太朗である

6.3.3.3.1. 連は、「計画」や「所有」概念により生み出された近代的な社会システムを批判し、「共有」という視座から「アーキ・コモンズ」概念を考案している

6.3.4. パブリックスペースのメンバーシップ

6.3.4.1. 塚本由晴は『アナザーユートピア──「オープンスペース」から都市を考える』の中で、オープンスペースをフルオープンな状態と捉える前提によって、結果として、そこでの人のモノのふるまいが想定範囲内のものに管理されてしまう問題について指摘し、メンバーシップを軸とした都市・建築の批評言語の必要性を論じる

6.3.4.2. 三浦詩乃は『ストリートデザイン・マネジメント――公共空間を活用する制度・組織・プロセス』の中で、日本の街路空間が不特定多数の人びと(誰しも平等)に開かれたものとして整備されることで、安心して歩ける街路環境が実現されている一方、人々の活動の多様性を高める状態は形成されにくいことを指摘する

6.3.4.3. 両者はともに、パブリックスペースのメンバーシップをいかに考えるかという論点を提示している

6.3.4.3.1. そこでは、フルオープンのままにするのではなく、地域に関わる特定のコミュニティ・ユーザー層と連携することで、パブリックスペースをカスタマイズしていくことが求められるのかもしれない。

6.3.5. 以上のように、建築・都市の多様性や創造性を考える際に、空間の所有・管理・利用の「メンバーシップ」を問題とする「コモンズ」の概念は極めて重要となる

6.3.5.1. 重視すべきは、場所のコンテクストに応じて開放と閉鎖のバランスを都度捉え直していく姿勢ではないか

6.3.5.1.1. すなわち、「公共性」と「コモンズ」の概念の差異を基にしながら建築・都市を評価していくための概念的な枠組みや手法が求められる

7. エコロジカル・プランニング

7.1. エコロジカル・プランニングの方法と実践

7.1.1. エコロジカル・プランニングでは地域環境をレーア・ケーク・モデルとして捉え、各々の条件から形成される自然・社会作用を地図上に表示し、必要に応じてオーバレイ評価していくことにより、相互に密接に関連しあいながら時間とともに変化し、複雑に絡み合った自然環境等の特性や機能を具体的に把握していくことにより、資源利用に対する可能性と制約(適合性)を総合的に評価し、自然のシステムに適応した持続的な環境資源利用を図っていくための手法

7.2. 08.05.20 大学院 緑地計画学特論

7.2.1. 行政区分、事業区分にとらわれない地域の捉え方

7.2.1.1. テリトーリオに通づるものがある

8. アクター・ネットワーク論

8.1. 10+1(能作文徳 著) 建築におけるアクター・ネットワークとはなにか:《高岡のゲストハウス》

8.1.1. アクターは社会的ネットワークの中にある

8.1.1.1. ブラックボックス化されたプロセスのネットワークの一部が明るみに出るときナラティヴが創出される

8.1.2. 建物は建築資材というモノの集合によってできている。建物の空間構成に重きを置いて捉えたならば、モノは空間を構成する部品でしかない。モノに内在した履歴やプロセスに着目するならば、モノは能動的なアクターとしてストーリーを語りはじめる。建物はさまざまなモノをひとつの場所に繋ぎ合わせるネットワークの結び目となるのである。

8.1.2.1. 高岡のゲストハウスにて、モノによる新陳代謝のネットワークをつくろうとしている

8.1.2.1.1. 瓦屋根はこの場所にとってはありきたりな建築の要素であるが、地域で共有された要素でもある。ありきたりなモノほど地域の風景にとってはローカルなネットワークを形成する重要なアクターになるのである

8.1.3. アクター・ネットワークと全体性の修復

8.1.3.1. これまで建築作品と呼ばれるものは、人やモノのネットワークとはあまり関係のない空間イメージのほうに重きが置かれていた。その多くは芸術という名のもとに、アクターとの接続ではなく切断を図ることによって建築の自律性を高め、建築的な価値を主張してきた。

8.1.3.1.1. しかし現代の建築家に突きつけられているのは、自律性の探求に逃げ込むことではなく、グローバル化によって引き起こされた無関係なものに溢れた世界や断片化したネットワークを、建築を通して修復し、より大きな全体性として描き出すことではないだろうか。

8.2. 10+1(アルベナ・ヤネヴァ 著) 『建築を政治的なものに変える5つの方法――設計実践の政治序説』イントロダクションより

8.2.1. よくわからん

8.3. 10+1(ブルーノ・ラトゥール+アルベナ・ヤネヴァ 著) 銃を与えたまえ、すべての建物を動かしてみせよう ――アクターネットワーク論から眺める建築

8.3.1. 未読

8.4. note(Hiroki Tanahashi 著) 社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門/ブリュノ・ラトゥール

8.4.1. まず循環がある。 循環があるからつながり、変化が起こり、生成が生じる。 社会があるのではない。社会という固定化された何ものかがあると仮定して、それを探そうとするから見つからない。そうではなく、社会が生成されてくる様に目を向けてみるといい。いや、目を向ける必要がある、その把握しきれないほど天文学的な数の生成の複数性に。

8.4.2. 従来の社会学者が存在のあやふやな概念で説明してきたことを、ちゃんと現場で起こっているモノと人間との協働作業に目を向けて、それをもって説明すること。モノはさまざまな人びとが絡むさまざまな工程のなかを流れていきながら、ほかのさまざまなモノといっしょになりながら、変換され、翻訳され、生成され、構成される。そのモノ自体に、何が起こっていたかを報告されること。それがANTの姿勢だ。

8.4.2.1. 事後の結果だけを見るのではなく、まだ何が起こるのかが確定していない事前 ――「変化」の前、「生成」の前、「連関」の前――のプロセス、循環に目を向けるのだ。

8.4.3. 虚構(ブラックボックス)ではなく現実の循環に目を向ける

8.5. 建築討論(藤田直哉 著) 社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門/ブリュノ・ラトゥール

8.5.1. 社会学とは、「社会的なものの社会学」である

8.5.1.1. つまり、現象の背景に「社会的なもの」が存在すると考えること

8.5.2. ラトゥールの言う社会学とは、「連関の社会学」である

8.5.2.1. 従来の社会学との違い

8.5.2.1.1. 一つは、既存の「フレーム」を用いて人々や現象を理解するのではなく、具体的な現象それ自体を見つめようとする態度。

8.5.2.1.2. 二つ目は、批判するのではなく、それがどのように「組み合わ」されているのかを解き明かそうとする姿勢。

8.5.2.1.3. 三つめは、「モノ」の重要性を高く評価する思考。

8.5.3. ラトゥールによると、「社会的なものの社会学」は、安易に「社会」「権力」「構造」「コンテクスト」「資本主義」「帝国」「規範」「個人主義」などの概念を使いすぎる傾向がある。

8.5.3.1. しかし、それはあらかじめあるフレームに実態や現象を当てはめてしまうだけで、対象を真に明らかにしてこなかったのではないか、とラトゥールは考えている。

8.5.4. 抽象的なものとして捉えるのではなく、具体的・現実的に、「つながり」をたどることで記述しようとする。全体像の「絵」ではなく、ミクロな記述を積み重ねて進むことがANTの特徴である。

8.5.5. 「ネットワーク」とは、電線やケーブルや水道管のことではない。アクションを行い、それが影響を与えていく一連のつながりのことである。静的であるよりは動的であり、行動がどのようにつながっているのかをたどることこそが、ANTの行おうとしようとしていることである。

8.6. 建築討論(中村健太郎 著) 「アクター・ネットワーク」── 「科学」としての建築学は可能か

8.6.1. 科学社会学の領域に出自を持つ新たな社会科学理論である。

8.6.1.1. ある社会的なまとまりにおいて他の事物と関係を取り結び、なんらかの働きを担う事物をラトゥールは〈アクター〉と呼ぶ。 ただしラトゥールが論文について、「ひとつの文章はそれ自体としては事実でも虚構でもない。それが事実か虚構かを決めるのは、他の文章である。」と述べるように、 アクターとしての論文の性質はそれ自体に内在しているのではなく、他の事物との外在的な関係性の総体、すなわち〈アクター-ネットワーク〉において示す働きによって決定される。

8.6.1.1.1. ANTは人もモノも分け隔てなく扱い、それらが成すネットワークを記述することで、ひとつの社会的なまとまりの組成へと介入してゆく。

8.7. 建築雑誌 2020年5月号(久保明教 著) アクター・ネットワークは建築に応用できるか ――ノンモダニズムの観点からデザインを考える

8.7.1. 建築は社会に還元可能か

8.7.1.1. 一般にANTは、人間/非人間、社会/自然などの二項対立を放棄したうえで、分析やデザインの対象にかかわる人間的/非人間的な要素(アクター)の諸関係(ネットワーク)を観察し組み替えることを可能にする発想とみなされている

8.7.1.1.1. ただ、しばしば見過ごされているのは、分析やデザインを行う観察者もまたアクター・ネットワークに内在しており、無条件で外側からネットワークを観察し構築できるわけではないということ

8.7.1.2. ラトゥールの議論の出発点にあるのは「いかなるものも、それ自体において、何か他のものに還元可能であることも還元不可能であることもない」という「非還元の原理」である

8.7.1.2.1. つまり、ANTというのは「唯物論」とか「唯名論」に近いような非常に抽象的で原理的な発想の束だということ

8.7.1.3. ラトゥールは、「ANTは何にも適用できない」ものであり、特定の研究方法を提示留守理論ではなく「研究する方法についての理論」だと書いている

8.7.1.3.1. ANTを建築にそのまま適用することはできないけれど、建築における既存の前提に依拠しない方法論を練り上げていくために活用することは可能かもしれない

8.7.2. 脱構築から汎構築主義へ

8.7.2.1. わからん

8.7.3. 空間だけでなく時間もデザインしないのか

8.7.3.1. 多様なアクターが絡まる中で言葉や写真や模型を通じてお互いが「ポロリ」と共有してしまうもの、偶然性と開放性を伴う価値の可変性に注目することが重要ではないか

9. テリトーリオ

9.1. テリトーリオ

9.1.1. 地域を意味するイタリア語であり、一般的に領土と訳される英語のテリトリーとは概念が異なる。土地や土壌などの自然条件の上に、人間の手による文化的景観、歴史、伝統、地域共同体、記憶、暮らし、食文化などが結びついて成立している。ストラクチャー、システム、ネットワークがあり、都市と田園の相互関係、交通・流通など、様々な側面を併せ持つ一体のもの。

9.1.2. 人間 空間 の連続性 時間

9.2. チェントロ・ストリコ

9.2.1. 歴史的市街地

9.3. パエサッジョ

9.3.1. 景観論

9.4. 資源の活用における治具と地形 イタリアのスローフード生産にみられる資源の活用のための建築(1) (正田智樹 他著)

9.4.1. エコロジカルなビジョンを体現する建築を求め、イタリアのスローフード運動によって保護された伝統的食品の生産地を対象に、身の回りの自然と物理的なしつらえとその配置の対応を明からにする

9.4.1.1. エコロジカルな治具(エコジグ)が、地形に応じて適切に配置されることで得られる全体を、資源の活用のための建築と呼ぶ。各生産地に特有な地域の風景は、こうした資源の活用のための建築によって形成されているといえる。

9.5. 資源の活用のための建築  イタリアのスローフード生産にみられる資源の活用のための建築(2) (正田智樹 他著)

9.5.1. 前編において導いたエコジグによる資源の活用とそれらの配置を食品生産を通して検討することにより、地域固有の風景を形成する資源の活用のための建築のあり方を明らかにすることを目的とする