シェリー・ケーガン著 「死とは何か」 読書メモ

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1. 5.不死--可能だとしたら、あなた は「不死」を手に入れたいか?

1.1. 剥奪説によれば

1.1.1. 死は人生における良いことを剥奪する から悪い

1.1.1.1. 最善なのは、まったく死なないこと、つま り不死であるという結論が導かれてしまう

1.1.1.1.1. だが、「永遠に送りたいと思うような 種類の人生があるか?」

1.1.1.1.2. 不死は永遠に維持する価値があるもので ありうるだろうか?

1.1.1.2. しかし、剥奪説には、人生が本人にとって全体 的に良いものであり続けたならという前提が必要

1.1.1.2.1. もし、人生が悪いものであったなら、死 は本人にとって悪いものではないという ことになる。

2. 1.「死」について考える

2.1. 著者がこの本で述べたいこと

2.1.1. 死の本質

2.1.2. 死という現象にまつわる心理学的な 疑問や社会学的な疑問

2.2. 著者が読者に投げかけたい 「死」に対する疑問

2.2.1. 私たちは何物なのか

2.2.2. 人間とはどのような存在なのか

2.2.3. 私たちには魂があるのか

2.2.3.1. 身体が死滅した後も生き続ける非物質的 な魂はあるか?

2.2.3.2. もし魂がないのなら、それは死の本質に 関してどのような意味を持つのか?

2.2.4. 人間は死んだらどうなのるのか

2.2.5. 存在し続けるとはどういうことなのか?

2.2.6. 私が明日まで生き延びるとは、何を意味するのか?

2.2.7. 死が本当に一巻の終わりならば、死は現に 悪いものなのだろうか

2.2.8. 私の生き方は、やがて死ぬという事実に どのような影響を受けてしかるべきなのか?

2.2.9. 必ず死ぬという運命に対して、私はどの ような態度を取るべきなのか?

2.2.9.1. 死を恐れるべきなのか?

2.2.9.2. やがて死ぬという事実に絶望すべきなのか?

2.2.10. 不死は良いものなのだろうか?

2.2.11. はたして自殺が許される時があるのか?

2.3. 著者のアプローチの姿勢

2.3.1. 書き手は自分が受け容れいている見方を 読者に語り、その見解に賛成するべき意 見を述べ、最善を尽くしてそれを擁護する

2.3.2. 宗教的論拠に訴えることはない

2.4. 死についての著者の見解

2.4.1. 魂は存在しない

2.4.2. 不死は良いものではない

2.4.3. 死を恐れるのは、実は死に対する適切な 反応ではない

2.4.4. 死は特別謎めいてはいない

2.4.5. 自殺は特定の状況下では合理的にも道徳 的にも正当化しうるかもしれない

2.5. 死について前提としたいこと

2.5.1. 物理主義者によると、人間とは、これらの様々な特別の形で機能する能力を持っ たただの身体、あらゆるP機能(人格機能)を果たすことのできるただの身体となる

2.5.1.1. 著者は、物理主義の立場を最も妥当と結 論する。実際、人はP機能を果たせるただ の身体にすぎないことを私たちは受け容 れるべきだ

2.5.2. 人格の同一性の問題について

2.5.2.1. その未来の人物が私であるためには、私 が私の脳を持っているかどうか、だ。

2.5.2.1.1. したがって、私の身体が消滅したときには、私 は最期を迎える。死こそすべての終わりという ことになる。

2.6. 用語

2.6.1. P機能

2.6.1.1. 身体の活動よりもっと高次の様々な認知脳のこと、人格機能

2.6.2. B機能

2.6.2.1. 心臓を拍動させたり、肺を広げたり縮めたりといった機能のこと

2.6.3. 形而上

2.6.3.1. 感性的経験では知り得ないもの。有形の現象の世界の奥にある、究極的なもの

3. 2.死の本質

3.1. まず、死の瞬間を定義しよう

3.1.1. 人間はいつ死ぬのか?

3.1.2. どの機能が決定的に重要なのか?

3.2. 普通は、死の瞬間を定義するために注目 するべき種類の機能かなどと自問する必 要はない

3.2.1. なぜなら

3.2.1.1. 私たちはP機能、B機能両方を、 ほぼ同時に失う

3.2.1.1.1. しかし、私の身体はまだ存在している。 だが、それは死体だ。

3.3. しかし、現実にはP機能が先に停止し、B 機能が存続する場合も、その逆もありうる

3.3.1. 人格説(魂はある、体と魂は別と考える説) によれば

3.3.1.1. この場合、私は生きていないにも関わら ず、私の身体は生きているということに なる

3.3.1.1.1. しかし、魂がなくなった体は人間ではない

3.3.2. 身体説(私が私であるためには体を 誰かが存在していればよい)によれば

3.3.2.1. この場合、私は死体だが、体が存在して いる。私は死んでいるのだが、それでも 存在していると言える。

3.3.2.1.1. やがて私の身体は腐敗し、原子に分解さ れ、ばらばらになる。この時点で私はも う存在しなくなる。

3.4. 乳児の場合、B機能は可動している が、脳の発達は少し経ってからのため、P 機能は可動していない

3.4.1. 人格説によれば

3.4.1.1. 私は存在しない

3.4.1.1.1. 本当に?

3.4.2. 身体説によれば

3.4.2.1. 私は存在する

3.5. 死後も存在し続けることを受け入れるな らば、それで何を得たいのかを考えなけ ればならない

3.5.1. それは、生きることだ

3.5.1.1. ただ、存在するだけでは十分ではなく、 生きているだけでもやはり十分ではない

3.5.1.1.1. 私は人格を持った人間として生きていた いのだ

3.6. 生存権を持っているのは、私なのか? それとも私の身体なのか?

3.6.1. もし、心臓移植の提供者となった場合、 身体が生きているならば、心臓を取り出 せば、それは殺人となる

3.6.1.1. しかし、生存権を持っているのが私(人格 を持った人間)なら、私の心臓を摘出する のは、許されるだろう

3.6.1.1.1. この場合、私の身体が死ぬことになった としても、私の生存権は実際にはまった く侵害されていない

3.7. したがって、死の瞬間はB機能をしている かどうかではなく、P機能をしているかど うかで決めるべきであることになる

3.8. しかし、睡眠中はP機能をしていない。と いうことは、睡眠中は死んでいると言え る。

3.8.1. たとえば

3.8.1.1. 2時に就寝し、その後不幸にも2時半に心 臓麻痺を起こし、意識を取り戻すことな く、P機能も再開することさえなく、寝て いる間に死んだ場合

3.8.1.1.1. その人は、2時に 死んだのか?

3.8.1.2. もし、神が使者を蘇らせたとしたら

3.8.1.2.1. 死 んだとみなされた間も、その人はずっと 生きていたということになる

3.9. だとすれば、死を定義付けるためには、P 機能の欠如以上のものが必要だというこ とになる。

3.9.1. P機能の喪失そのものだけでは、それを死と 呼ぶには不十分だから

3.10. P機能が壊されて二度と戻らない、それが死だ

4. 3.当事者意識と孤独感--死を巡る2つの主張--

4.1. 「誰もがみな"自分が死ぬ"ことを本気で 信じてはいない」という主張は真実か?

4.1.1. なぜか?

4.1.1.1. 「死んでいる自分」を 想像できないから

4.1.1.1.1. 人は自分が死んでいるところを 想像できなくても、生命保険に入る

4.1.1.2. もし、自分が死ぬと 分かったなら

4.1.1.2.1. 人は生き方を変えようとする。自分にと って大切なことをして自分が大切に思っ ている人々に思いを伝えなければと考え る。

4.2. 「死ぬときは、結局独り」という主張と いう主張は真実か?

4.2.1. それは、たとえ他人がそばにいても、死 ぬというのは独りですることなのだとい う意味か?

4.2.1.1. 戦場で2人の兵士が同時に死にかけていた 場合はどうか?

4.2.2. それは、死を共同作業することができな いという意味か?

4.2.2.1. 手を取り合って崖から飛び降り、2人して 自殺したケースはどうか?

4.2.3. それは、誰もみなさんの替わりに死ぬこ とはできない、身代わりになれないとい う意味か?

4.2.3.1. もし誰かが身代わりに死んでくれるとし ても、それは私の死ではない、彼らの死だ

4.2.3.1.1. しかし、誰も私の身代わりに死ぬことは できないというのは本当だとしても、そ れは死の特別な本質についての深遠な見 識ではない

4.2.4. それは、死ぬときの心理状態が、孤独に 類似しているという意味か?

4.2.4.1. しかし、突然心臓停止して死ぬ場合、そ のような人はおそらく死ぬ時に孤独感も 疎外感も抱いていない

4.2.4.1.1. したがって、死ぬことに気づいている場 合に限りという前提のある時において は、正しいと言えるかもしれない

5. 4.死はなぜ悪いのか

5.1. 死はどうして、 どんなふうに悪いのか?

5.1.1. 死んでしまえば私は存在しない。存在し ないのなら、私にとって、死んでいるこ とがどうして悪いことでありうるのか?

5.1.1.1. 死は本人にとっては悪くないが、残され た人にとっては悪いという場合

5.1.1.1.1. 誰かが死ぬと、私たちはその人と交流 し続ける機会を失う

5.1.2. 死んでしまうと、人生における良いこと を享受できなくなる

5.1.2.1. それが、死が悪い理由だ

5.1.2.1.1. それでは、死はいつ、私にとって 悪いのか?

6. 6.死が教える「人生の 価値」の測り方

6.1. 死は悪いものにも良 いものにもなりえる

6.1.1. 死は、良いものとなるはずだった人生の 一時期を奪うときには悪いものだ。だ が、悪いものとなるはずだった将来を奪 うなら、良いものなのだ。

6.1.1.1. では、良いものとなる はずだった人生とは?

6.1.1.1.1. 人生の良し悪しは、何 によって決まるのか?

6.1.1.1.2. 人生がうまくいっている とはどういうことか?

6.1.1.1.3. その人生を送っている本人にとって、 何が人生を良いものにしているのか?

6.1.1.1.4. 良い人生は何を材料や成分や要素と しているのか?

6.1.2. 人間がみな死ぬ のは良いこと

6.1.2.1. なぜなら、いずれ不死は身の毛がよだ つようなものになるだろうから

7. 7.私たちが死ぬまでに考えておく べき、「死」にまつわる6つの問題

7.1. 「死は絶対に避けられない」 という事実を巡る考察

7.1.1. 死は避けられない ために良くなるの か?悪くなるのか?

7.1.1.1. 私たちは死神から逃れられない。自分の 存在にまつわる中心的な事実に関して、 まったく無力であるせいで、事態はなお さら悪くなるという意見

7.1.1.2. 死が必然であるおかげで、 実は悪さが軽減されるという意見

7.1.1.2.1. 例えば

8. 8.死に直面しながら生きる

8.1. いずれ死ぬという事実は、私たちの生き 方にどんな影響を与えるだろうか?

8.1.1. 適切な生き方は、私たちがやがて死ぬと いう事実、永遠には存在し続けないと言 う事実によって形作られる

8.1.1.1. 必ず死ぬという事実に直面してそれに即 して生きることなしに送る人生には、ど こか間違ったところ、本物らしからぬと ころがある

8.2. 自分がいずれ死ぬという事実に気づいた ら、自分の生き方はどんな影響を受ける べきなのか?

8.3. 怖れの対象は厳密には何か?

8.3.1. 恐れ

8.3.1.1. 死に伴う痛みが恐ろしい

8.3.1.1.1. 自分がそういう目に遭いはしないかと思 うと夜も眠れないと言うほどの大きな恐 れが不釣り合いに思える

8.3.1.2. 死そのものが恐ろしい

8.3.1.2.1. 死は確実だからこそ、死を恐れ るのは不適切だ

8.3.1.3. 予想外に死ぬかもしれないのが恐ろしい

8.3.1.3.1. 何か悪い事があり、悪いことが起こる無 視できない可能性があり、それにもかか わらず、悪いことが起こるのは確かでは ない

8.4. 早死にする運命に対して

8.4.1. これほど多くを経験できたのはなんとも幸運だ。人格を持った人間になったり、恋に落ちたり、夕日を眺めたり、アイスク リームを食べたりする機会を得られる。このような、選り抜きの幸福な存在であるというのは、この上ない幸運なのだ。

8.4.2. 正しい感情的反応は、恐れではなく、怒りでもなく、生きていられるという純然 たる事実に対する感謝のように思える

8.5. いずれ死ぬ私たち--人生で何をするべきか--

8.5.1. 私たちはどう生きるべきか?

8.5.1.1. 人生は一度きりで、やり直しは利かない。だから私たちは、死を免れないとい う事実、限られた壽命しかないという事実を踏まえて、人生を台無しにしうるこ とに気づかなくてはいけない。私たちは、やりそこないうるのだ。

8.5.1.2. 死ぬか死なないか以前に、人生を台無しにしないこと

8.5.2. 人生の「やり直しが利かない過ち」とは?

8.5.2.1. 2種類の用心をしな ければならない

8.5.2.1.1. 目標を選ぶ時に用心する

8.5.2.1.2. 目標を実現するにあたって 用心する

8.5.3. 人生は、何もしないには長過ぎるが、 何かをするには短過ぎる。

8.5.3.1. 危険なのは、どう見てもはるかに価値が 低いことに時間を無駄にしてきたと気づ くこと

8.5.3.1.1. 私たちは、最も追及する価値のあること は何かを判断する必要性という重荷を背 負っている

8.6. 余談

8.6.1. 急いでコピーしなければならない時にコ ピー機が壊れて、コピー機に腹を立てる という行為は、私がコピー機を擬人化し たということ。私をがっかりさせtあ人 間であるかのように見ている。

9. 9.自殺

9.1. もし自殺をするのが理にかなっている状 況があるとしたら、それはどんな状況だ ろうか?

9.1.1. 自殺したほうがいい状況というのが真実 である時があるとしたら、それはいつか?

9.1.1.1. 通常は、何かをしたほうが良くなるのか 悪くなるのかの判断をするときには、"二 条要件"を満たさなければならない

9.1.1.1.1. 二状態条件とは: 2つの状況や状態を記述して比較で きなくては、そもそもその比較は意 味をなさないこと

9.1.1.1.2. しかし、自殺については二状態条件を満 たすことができない

9.1.2. 自殺したほうがいい状況下にいるという 判断に基づいて行動することは、本人に とって合理的なのか?

9.1.2.1. 自殺したほうがマシなほどひどい状況に 陥った時、人は明晰な思考ができないた め、自分の判断を信頼すべきではない

9.2. もし自殺をするのが適切だという状況が あるとしたら、それはどんな状況だろう か?

10. 10.これから生きる君たちへ

11. 感想

11.1. これが、頭のいい人が見ている世界なのかと愕然とした。考えるとは何か、しかも深く考えるとは何かをガツンと強く知らされた気がした。

11.2. 頭のいい人をすごい!と思う一方で、ここまで深く物事を考えてしまう性癖は、辛くもあるものではないのかなぁと思ったりした。もっと能天気に生きられたら・・・と思うこと はないのかなぁって心配になるくらい深く考察されている。でも、きっとそれは、私のようなバカの発想なんだろうな。ここまで物事を深く考えられたり、分析できたり、推測でき たりすることは、人生にとって得な局面が沢山あるに違いないのだし。視野が広い人は、世界が巨大な遊園地に見えるのだろうな。そう考ええると、やっぱり頭いいって羨ましいこ とだよね。

11.3. 感情という人間にとって不合理だけれど大切なものの存在をないものとして、考察されている気がした。合理的に考えるためには、大切だとは思うけれど・・・

11.4. 論理的には成立しなくても、私は魂と体は別と考えてしまうほうだ。

11.5. 人生は私たちに価値のある何かを提供してくれている

11.5.1. 私たちは提供を受ける側なのだから、生きる意味とかを問う行為は無意味だと分かった

11.6. 途中、頭がこんがらがってしまい、整理しながら読むことができなくなった。MAPも中途半端。しばらくしてから、もう一度読んで、ちゃんと理解を深めよう。