登録は簡単!. 無料です
または 登録 あなたのEメールアドレスで登録
ご当地学 仙台 により Mind Map: ご当地学 仙台

1. ヒアリング 三浦 錬浄さん

1.1. 自己紹介

1.2. 三浦さんの生い立ち

1.2.1. 日蓮宗

1.2.1.1. 山梨県身延山での宿望

1.2.1.1.1. 湯葉で有名 地元でしか食べられないもの

1.3. 仙台ってどんな街に感じますか?

1.3.1. 緑豊かで穏やか 杜の都

1.3.2. 河北新報

1.3.2.1. 白河以北

1.4. 温泉に行くならばどこにいきますか? その理由は?

1.4.1. 秋保温泉

1.4.1.1. さかん

1.4.1.1.1. 神棚、歴史資料館、戦国時代から伝わっているもの

1.4.1.1.2. 川を眺める露天風呂

1.4.1.2. 公衆浴場

1.4.2. 作並温泉

1.4.3. 米農家が冬場に冬至にいく

1.5. 仙台文化

1.5.1. 鉱山

1.5.2. 養蚕

1.5.3. 和紙

1.6. 仙台城

1.6.1. 青葉山

1.6.2. 東 広瀬川

1.6.3. 西 御裏林

1.7. 若林城

1.8. 丁 武士 町 足軽町人

1.9. 植林策が推奨

1.9.1. 現在の名取市域の海岸に植林が始まるのは、17 世紀半ば過ぎのことである。名取郡早 股村(現宮城県岩沼市)に知行地をもっていた川村孫兵衛元吉は、海浜に開発した新田を 飛砂や強風、高波などの潮害から守るために、この時期にクロマツの植栽を開始した。そ れから間もなく名取郡の海岸一帯にクロマツの植栽がひろがったことは、50 年後の元禄 14 年(1701)に作成された『仙台領国絵図』(宮城県図書館所蔵)の描写からうかがうこ とができる(菊池 2016)。図 3 は、『仙台領国絵図』のうち名取郡の海岸部分を中心に示 したものである。阿武隈川河口左岸の砂洲の松林がとくに色濃い様相を呈しているのは、 上述のように川村元吉により早々に植林が取り組まれたからである。海岸線の描写が大雑 把で地域が確定し難いところがあるが、広浦の東側に延びる砂州のほぼ中央部に北釜が位 置する。この一帯に松並木が続いていることは、植林後、林立して育っていたことを推測 できる。

1.9.2. クロマツの植林は川村のように沿岸部に知行地を与えられた家臣により着手されたほ か、藩の直営で実施されたところがあり、また村民が取り組んだところもあった。いずれ にせよ藩の主導のもとに、潮害防備をめざして政策的に推進されていたことは、元禄 8 年(1695)に出された藩の通達に「宮城国分・名取・亘理、その他」の地域に存在する「須 賀松」(すかまつと読み、海岸の砂州に植えられた松をいう)はすべて、「上意」により、「浪 塩風除」けのために、「所の者に植えさせ候」と記されていることから明らかである(「山 林方御定書」『伊達家仙台藩の林政』)。なお、上記の通達によれば、17 世紀末には、宮城郡・ 名取郡・亘理郡のほか、仙台藩領の海岸の大半に海岸林が存在し、須賀松と称されるよう になっていた。藩の記録には須賀松のほか、潮除須賀黒松林、潮霧除須賀松林、などの総 称でも記されている。その大半は藩の山林支配におかれる御林(おはやし)、すなわち藩 有林とされていた。

1.10. 多賀城 坂上田村麻呂から由来

1.11. 人柄

1.11.1. 口下手 挨拶しても返ってこない

1.12. 七夕祭り

1.12.1. 殿様商売 売ってやるよっていう態度

1.13. 牛タン

1.13.1. 太吉(たすけ) 戦後 ものがなくて食べるものがない 牛タンを下拵えして薄く切って東北大生に食べさせたらうまい!となった

1.14. 萩の月

1.15. 茶

1.15.1. 仙台駄菓子

1.16. 津波の被害

1.17. 東北の歴史は虐げられていると感じる

1.18. いずいという言葉、北海道のみ使われている

1.18.1. 伊達藩士の移住が影響??

2. 伊達政宗

2.1. 信長の先見性・雅と秀吉の人たらしを併せ持った人物

2.1.1. 戦乱⇨太平の時代へシフト

2.1.1.1. いかに領国経営をしていくか?

2.1.1.2. 農地開拓をして奥州の石高をあげた

2.1.1.2.1. 日本一の米処になっていった

2.1.2. 見栄をはる

2.1.2.1. とんがり帽子

2.1.3. 家督を継いだ頃の奥州=周りの大名とほぼ親戚関係

2.1.3.1. 領地を広げる先に天下を唯一目指していた

2.1.3.1.1. 信長に似ている?

2.1.4. 京都から文化を吸収

2.1.4.1. 茶を部下に学ばせた

2.2. 筆豆な一面

3. 秋保温泉

3.1. 宮城県の鳴子温泉、福島県の飯坂温泉とともに奥州三名湯の1つ

3.2. 秋保の名は古くから知られており、「古今和歌集」や「新古今和歌集」等にも「秋保の里」とうたわれている。

3.3. 宮城県仙台市から車で30分ほど

3.4. 刺激の少ない柔らかなお湯と、湯冷めしにくい泉質

3.5. 弱塩泉 ナトリウム・カルシウム-塩化物泉:低張性中性高温泉 源泉温度24度から60度

3.5.1. 秋の幻想的な紅葉風景、春の豊かな緑や花々など、四季を通して楽しめる

3.6. 名取川

3.6.1. 水運は物流に利用される

4. 和紙文化

4.1. 仙台藩領では藩祖の伊達政宗が早くから楮の植え付けと紙の生産を奨励したため、領内各地で製紙業が興った。

4.2. 柳生和紙

4.2.1. 仙台藩主伊達政宗が、米作り以外の産業を奨励する一環として始まった

4.2.2. 楮(こうぞ)の皮から取り出した繊維に黄蜀葵(とろろあおい)の根の汁を加えてすいた丈夫な紙は、提灯や障子紙、包装紙など、日常の中のさまざまな道具に用いられている。

4.2.3. 今では、和紙づくりの農家は柳生の一戸だけとなり、菓子のつつみ紙や松川達磨の型紙を作り、伝統工芸を守り続けている。

4.2.4. 福島県伊達郡茂庭村から招かれた4人の紙すき職人のほかに48戸の家で和紙づくりをしていたという。この付近の豊かな地下水と高舘山のふもとに吹き渡る風が紙すきに適していた。

4.2.5. 当時は近くの若者たちは『柳生に行くと太白(白砂糖)を食わせられる』と言って、争って手伝いに来たという。

4.2.6. 今では柳生和紙づくりの農家は柳生の1戸だけとなっているが、和紙のよさや伝統を伝える「和紙づくりの体験」等を行っている。また、近隣の小中学校(柳生小学校、西中田小学校、柳生中学校)の卒業証書は柳生和紙で作られているため、出身者は一度は触れたことがある馴染み深いものとなっている。

4.3. 白石和紙

4.3.1. 江戸時代から白石の特産品で、明治時代まで盛んに作られた。現在は市内の白石和紙工房だけで製造される。強度と耐久性に優れ、紙子(紙衣)、紙布にも用いられる。

4.3.2. 長く柔らかい繊維が紙に強度と耐久性をもたらし、紙子や紙布その他特殊用途でも発揮される特長となる

4.3.3. 江戸時代には楮生産、紙漉き、加工が白石を含む刈田郡一円の産業として栄え、白石の特産を指す「白石三白」(白石和紙、白石温麺、白石葛)の一つとされた。