1. 家族構成
1.1. 父親 母親 離婚済 妹2人の3人兄妹 長女は次男(笑)次女は鬱に・・・少し変わった家庭環境の5人家族
1.2. 妻(30歳)長男(10歳)長女(9歳)次男(4歳) 記念日2005.9.25 11年目 5人家族
1.3. 性格
1.3.1. 社交的。人見知り。妄想癖。外面が良い。人を疑う。信用しない。心を閉ざす。頭が良いと思っている。頑固。負けず嫌い。要領は良い。素直。謙虚。気を使う。嫉妬深い。一途。
2. 生誕
2.1. 1985年10月11日に産まれる。丑年。てんびん座。B型。ちなみに家族全員B型。
3. 幼少期~青年期
3.1. 幼稚園時代
3.1.1. 活発。目立ちたがり屋。目つき悪い。パンツ被る。兄妹思い。
3.1.2. 団地に住んでいたので、同じ年頃の友達が多かった。団地の前で遊んでいた。活発すぎて頭によく怪我。スイミングを習っていた。しかし、今は泳げない。
3.2. 小学校時代
3.2.1. 低学年
3.2.1.1. 3年の時に母親の実家の近くに引っ越す。結構な田舎で、学校までに2km歩く・・・。お陰で体力はついた。サッカーを3年で習う。上手い下手はないが、楽しかった。
3.2.1.2. 初恋は小学2年の時。片思い。ただ、その子は病気になってしまい、亡くなってしまった。告白出来なかった。昼休みには友達と外でサッカーをしていた。凄い上手い子がいた。転校先で教育実習の先生に甘えていた。
3.2.2. 高学年
3.2.2.1. 他校のサッカー部と共同になりレギュラー争いに負けた。悔しかった。初めての挫折。ミニ四駆が流行っていて、近くの模型屋で万引きを繰り返し、バレて友達連中逃げた。それ以降行ってない。
3.2.2.2. 好きな女の子にちょっかいを出していた。両思いだったと思う。女子になぜかモテていた。何人かに告白されるが、その頃は恥ずかしさが勝りどうこうではなかった。
3.2.2.3. 6年のころには積極的な子と付き合うこととなり、その子の家に・・・。結果なにもなかった。(笑)
3.2.2.4. 初めて親友と呼べる友が出来た。
3.3. 中学校時代
3.3.1. 身長がまだ140cmない。やんちゃ。女の子に興味が出てくる。おっぱいさわりまくる(笑)
3.3.2. いろんな、小学校が集まるので、小学校で万引きを繰り返していたことが一部にバレたが制圧(笑)
3.3.3. サッカー部に入部。2個上の先輩には可愛がってもらったが、1個上の先輩には嫌われていた。上下関係は大変だったけど楽しかった。
3.3.4. 身長が思うように伸びず、チビ。サッカーを辞めてから伸びた。
3.3.5. 初めて、女の子と付き合うこととなる。双子の姉のほう。キッカケは突然、廊下ですれ違う時に、ハイタッチ。シンパシーを感じてから女子はやりの手紙のやり取りをするようになる。良い関係だったが、相手に好きな人が出来たと噂を耳にし、バイバイ。
3.3.6. サッカーを辞めてから、暇になってしまい、友達とゲンチャ乗ったりとタムロするようになる。やるなと言われるとやりたくなる。そのダメな環境を変えたのが母親で、テニスをやらされ、魅了され、高校で、テニス部。
3.3.7. 学んだこと
3.3.7.1. サッカーをやっていたことで、忍耐力、精神力を身につけることができた。サッカーでは協調性を養えた。
3.4. 高校時代
3.4.1. 特にやりたいこともなかったが、父親が小さな車屋をしていたこともあり、親友と一緒に機械科のある学校へ入学。もう一人の友達は落ちてしまった。
3.4.2. クラスは40名のやんちゃ男子ばかり。気は楽だったが、女子のいるクラスがよかったと後悔。
3.4.3. 今まで、女子にモテた分析をした結果、接してみて楽しい、優しい、面白いがあれば大抵、上手くいく。優しさがあれば、多少外見は関係ない。クラスに女子がいなくても外見が良ければモテるが・・・(泣)
3.4.4. 友達連中を経由し、そのころ支流だったメル友で知り合った女の子と遊ぶようになる。
3.4.5. 部活は以前から決めていたテニス部に入った。コーチが実力のある方だった。サッカー部のコーチからもお誘いがあったが、断った。
3.4.6. 初めての大会で、多少やっていたこともあり、3回戦まで勝ち進めた。みんなが1回戦で負けている中、正直嬉しかった。コーチに良くしてもらい、スクールに入るように言われ、親に相談し、入部。テニスで飯が食べて行きたいと思う。
3.4.7. 月日が経過し、良くして頂いたコーチが突然の退職。それを機にテニスから逃げるようになる。なぜなら、部員からの嫉妬。
3.4.8. そこから、なぜか親友たちに裏切られ、ハブられどん底まで落ち、学校を辞めようかと悩む。理由は未だにわからない。
3.4.9. そのどん底を救ってくれたのが、今となりに居てくれている、妻との出会いと地元の友人達である。
3.4.10. 毎日のように、友人宅にお邪魔し、ドンちゃん騒ぎ。家庭環境も悪化していたので、居心地が悪かった。今思うと逃げていたのかもしれない。結果、妹の鬱の原因になるのかな・・。
3.4.11. 妻との出会いは地元の祭りに友達と出ていて、打ち上げをしている時に、女友達から友達に連絡。
3.4.12. 原チャリで迎えに行ってもう一人居たのが妻でした。女友達は地元の友達なので顔見知り。そいつを家まで送ると思っていたが、女友達がその友達を好きだったみたい。妻との初対面は良く覚えていない。冬で夜だったため顔がわからない。なぜか初対面のやつを原チャの後ろに乗せるハメに・・・
3.4.13. 正直、お酒も入っていて、ましてや、女友達の家なんて知らない。友達が先行する中あとを着いて行くも巻かれ(笑)必死に追った結果
3.4.14. 目の前には道がなかった。畑にダイブ。私には怪我がなかったが妻の方は青タンが出来ていた。酔いが醒める。心境はやっちまった。それからは、みんなに謝りまくり。そうしていく中で妻と連絡を取り合う仲に。
3.4.15. その時は、お互い意中の存在が居たので、ただの女友達と接していました。いつしか、遊ぶようになり、恋心が・・・。
3.4.16. 私は、彼女と別れ、妻に告白するもどっちつかずな返答。それに嫌気がさし、わたしの存在に気づかせる為に、手に職を求め美容学校の専門学校へ入学を決意。
3.4.17. 今まで連絡を取り合うのが密だったのだか、次第に間隔をあけるようにした。そうしたことで、妻のほうが寂しくなり、連絡をしてくるようになる。
3.4.18. 見事、作戦が成功したのか、無事付き合う事が出来た。正直、おせーよと思った。
3.4.19. 学んだこと
3.4.19.1. 人間は弱い生き物。人間関係に悩んだ学生生活だった。
3.5. 専門学校時代
3.5.1. 専門学校の受験は正直面接だけで通ったと思う・・・。テストに手応えなし。
3.5.2. 先生や仲間に恵まれた。クラスにほぼ女子しか居ない。少人数の男子の結束力は高かった。触れ合う期間は少なかったが、今でも仲良い。
3.5.3. 何人かに好意を持ってもらったが、バカみたいに一途だったため、お断りをさせて頂いた。今考えるともったいなかったか・・・。たぶん、自分に自信がなかった。
3.5.4. 成績はそれなりだったが、ウィッグを使う授業ではなかなか苦戦した。先生からはしゃべりが上手いから面白い美容師になれるねと言われる。技術じゃないのかよと思った。
3.5.5. 時は流れ、夏休みに妻の妊娠が発覚。正直、テンパる。だが、嬉しかった。育てる気でいたので、学校を自主退学する。
3.5.6. 親に国庫金を借りてまでお金を出してもらったのに、悪いことをした・・・。
3.5.7. 学んだこと
3.5.7.1. 高校時代に人間関係悩んでいたため、専門時代は少し壁があったかもしれない。だが、今でも仲良くしてもらえる友達を見つけられた。
4. 家庭環境
4.1. 両親の夫婦仲が悪かった為、早く家を出たかった。喧嘩が絶えない両親。幼き頃からこんなのが結婚ではないと思っていた。自分では、こんな家庭にはしないと結婚願望が高かった。兄妹とはごくごく普通な関係。
5. 社会人1年目 18歳
5.1. 初めての仕事は、親の紹介で内装屋に身をおくことにした。
5.2. 毎朝6時に起き、親方の家に集合。そこから、先輩方と現場に向かう。
5.3. 下っ端なので、最初は先輩方の補助。先輩方から技術を盗んで覚える。
5.4. ボードを呼ばれるものを壁に張り付けていくのだが、ボードを寸法通りにカットしたり、カット部分をヤスリをかけたり、覚えることがたくさんある。体で覚えるしかなかった。
5.5. ボードは地味に重いので、毎日筋肉痛。良い筋トレだ。一番つらかったのは、天井にボードを張る作業。片手でボード支え、インパクトでビスを打っていく。
5.6. 理不尽極まりなく怒られていたな。そこから、一人立ちをして、初めて自分の工具を持たせてもらった時は凄く嬉しかった。
5.7. 最初は、段取りがわからず、先輩の部屋行ったり来たりで見よう見まねでやる。先輩が3時間で終わることも全然終わらない。
5.8. 辛かったり悔しかったりしたが、楽しかった。1日終える時間がものすごい早かった。
5.9. しかし、これから結婚して子どもたちを養っていくのに、給料が少なかった。手取り13万。
5.10. 親方、先輩方には良くして頂いたのだが、苦渋の決断として、転職をする。
5.11. 学んだこと
5.11.1. 初めての社会人生活。社会人のイロハを学んだ。社会人での人間関係は良好だった。
6. 社会人1年目 19歳
6.1. たまたま、求人雑誌を見ていて給料が良く、家族との時間が取れる週休2日の仕事を探した。
6.2. 本社は東京。勤務地は熊谷。宇都宮の支店を出すための募集を見つけ、応募する。
6.3. 仕事内容はOA機器や回線の飛び込み営業。話すことが好きなのと売れれば、報酬に繋がると考えた安易な理由。
6.4. 面接まで行ければ正直どの会社も受かると自負している。結果は合格。
6.5. 初めて他県で暮らすことになる。先輩と共同生活が始まる。
6.6. 最初は、あいかわらず、先輩に着いて、仕事内容を覚えることから始まる。
6.7. ポイントは、中小起業などの小さい会社の外に出ている電話線の数を見て、多ければ多いほど話を聞いてもらえる。
6.8. 丁度、時期的に、ISDNやADSLなどの回線が出ていた時なので、電話先が2本出ていればIDSLのが1本にまとめられて、安くなりますよと口説く。
6.9. そこから、波形させて、OA機器などのセールスに入っていく。
6.10. 私の場合は、そういう困っている方を見つけてアポイントを取っていくまでしか覚えれなかった。アポイントを取ったら時間の段取りを付け、先輩にクローザーとして入って成約までして頂く。
6.11. 初めて成約が取れた時は、嬉しかった。
6.12. その会社は、給料が手渡しで渡される。手取り18万。次長クラスになると封筒が立っていた。憧れた。
6.13. 営業の楽しさを知ってく中で当然、辛いこともあった。話も聞かず、警察に言うよとか言われたり・・・。
6.14. そういくなかで、度胸がつき、クローザーとしての役割が回ってこようとした矢先、事件が起こった。
6.15. こういうOA機器の営業をしている会社は多々ある。私は、知らなかったが、そういった会社の中でトップ3に入る売上がある会社から人材が就職してきたのである。
6.16. この方との出会いが、私の性格を歪めた。年上を信用できなくなっていった。
6.17. キッカケは、部長とその方が一緒に営業に行き、部長が本物だと言い、社長もべた褒めだった。無知で社会経験もない私は尊敬し、学ぼうとすることとなる。
6.18. 先輩との共同生活にその方も加わった。
6.19. いろんなことを教えてくれた。夜の遊びだったり、営業の仕方だったりと・・・。また、福島県民だったので、栃木と近く親近感も湧いた。
6.20. それから、ほぼ、その方と営業に回り勉強していった。無知な私になにが正解か不正解かわからない。
6.21. そして、事件が発覚する。その人が成約取ってくる案件はすべて嘘だった。
6.22. アポインターとして私がアポを取って、クローザーとして成約を取って貰っていたが、いつしか、おかしなことになり始めた。
6.23. アポ取った会社に支店があり、そこも任せると言われ、OA機器の会社なのに、PCを私達が用意しなくてはならなくなってきた。規模がデカイから早めに手をつけたいとか社長にも了承済みとか色つけるとか今考えるとアホらしいことが多々あった。
6.24. 結果全てが嘘なため、成約はなし。その私達が用意したPCを売られていた。親のクレジットやお金でPCを購入していたので、罪悪感でいっぱいになる。
6.25. 発覚日。週末は私は妻の元に帰るので、月曜日の朝その方から連絡が来て、財布忘れてしまって会社で返すから3000円貸してTELがくる。
6.26. その方も、福島の女性の元に帰っていたみたいで、宇都宮インターで折り合うこととなる。
6.27. それから、もう会うことはなかった・・・。
6.28. 会社に着くと、営業所の中の売れる備品が売られていた。後々聞くと、鍵を渡していたり、営業所の車で行動させていたりとなんでもありだった。
6.29. 詐欺にあったのは一緒に住んでいた、私と先輩。ましてや、次長までお金を貸していたり物を買っていた。
6.30. こうした背景があり、年上は信じられなくなる。また、こんな会社にはもういれないと退職し、栃木に帰る。
6.31. その方は、すべて嘘だった。住んでる実家も子どもも離婚した妻も福島の彼女も。
6.32. なにもかも用意周到っだった。それに誰も気が付かず、さぞ楽だったと思う。
6.33. 社長含め部長が実家の方に行ったみたいだが、ボロ屋だったみたいで、連絡取ってないとのことだった。
6.34. 後日談として、面接の時、部長が免許の提示を求めた際に、渋ったみたいだ。そんなの今更言っても意味がない。まだ、見つかったという連絡は警察からない。
6.35. 学んだこと
6.35.1. 無知はバカ。いろいろ勉強するようになった。知らない人は信じれない。
7. 社会人2~4年目 19~21歳
7.1. 詐欺に巻き込まれ、地元に帰ってきたものの仕事が無い。当時はお金が良かった、派遣に登録する。
7.2. 派遣に登録後、地元の工業団地内にある工場に勤務することとなる。
7.3. そこで、まさかの地元の友だちに会う。こちら、派遣。友達社員。みじめだった。悔しかった。
7.4. ただ、家族を養うためそんなこと言ってられないと自分に言い聞かせる。
7.5. 製造課に配属。仕事内容は、プレス機に鉄の材料をセットし、金型で成型された製品が出来上がり、出来上がった製品をまとめ、決められた数でその製品を検査していた。
7.6. プレス機で、出来る製品はプレス機によって、時間が異なる。早くて3分で1個出来る製品から6時間で1個出来る製品さまざまである。
7.7. プレス機は全部で大体44台合った気がする。主に一人、3台から4台見ていた。
7.8. 給料は多くて29万。夜勤もあり、休出もしていたのでそれぐらい貰えた。派遣からは20人ぐらい製造課にいた。昼勤、夜勤時間で交替勤務。社員は少人数で、多くは金型を成型。
7.9. 正直、段取り、要領さえ良ければ、夜勤は楽だった。偉い人がいないからだ。
7.10. 要は、プレス機を止めなければ良いだけ。1台1台、出来上がる製品時間を把握していれば自ずと要領が良くなる。
7.11. 初めのうちは、3分で1個できる機械を3台とか見ることとなる。凄くドタバタする。慣れるまで大変だったが慣れれば良いだけ。
7.12. プレス機には1台1台に出来上がるノルマがある。それが出来ないとなぜ出来なかったのか聞かれる。そういうのが嫌だったので、絶対にノルマは意識した。それ以上にプラスaで製品を作った。
7.13. そうしていくと、社員の所長から信用されてくる。仲良くしていくと機械の振りを任される。
7.14. 単純に、朝ホワイトボードに自分名前があり、そこにプレス機の番号が書かれた札を見て持ち場につく。
7.15. そこを任されるようになると自分で自分の札、他の人の札を決められる。
7.16. ただ、自分ばかり楽な機械は見れない。派遣社員の意見を尊重し、聞いてまとめ決めていく。
7.17. 難しかったのは、1個の製品が出来上がるのが遅いほどプレス機に材料をセットするのが高度になっていった。
7.18. そうなるとデキる人と出来ない人に別れてしまう。必然的に、デキる人は遅い機械、出来ない人は早い機械になってしまう。
7.19. 新人教育を任されるようになり、なぜか社員の教育とかもするようになる。
7.20. 私はスパルタみたいだが、私が教えれば、失敗が少ないと言われ、申し訳なかった。新人教育は楽しかった。自分の接し方の勉強にもなった。
7.21. この工場の経験が自分の要領、段取りの良さを身につけ、自負している。
7.22. 人間関係は良好。結構な人数がいたが、みんな仲よかった。当たり障りない関係だったのかもしれない。
7.23. そして、派遣切りとなり、転職をまた余儀なくされる。
7.24. 当時
7.24.1. ジョイコム事件で、20歳頃、株や投資に興味を持ち始める
7.24.2. 書店で本を買い、勉強するもお金がかかることに気が付き、保留となる。
7.24.3. いつかやってみたいと思う。
7.24.4. 絶対にそんな時代が来ると思っていた。
8. 社会人5~7年目 23~25歳
8.1. 次に就職させて頂いた企業は製薬会社の契約社員だった。結構な大手企業、上手く行けば社員になれるとあり、凄い倍率だった。
8.2. 仕事内容は、製造課のライン作業。製薬を入れる容器をセットし、容器を熱洗浄させ、製薬を充填していく。
8.3. 製薬が出来るのを間近で見れて、なかなかの経験をしたと思う。
8.4. ライン作業の流れは、洗浄機にセット。製薬を充填。充填後、製品が検査機に入れられ異物がないか高速カメラで見ていく。怪しいとおもられる製品ははじかれ、その他の製品はラベル工程でラベルが貼り付けられる。
8.5. 出来上がった製品を目視で、異物やラベルズレなどないか確認する。
8.6. 何本ごとに、出来上がった製品の封を開けて検査もしていた。
8.7. 異物でも入っているものなら、ラインが停まり、全工程確認が入るため、シビアだった。
8.8. 製薬なだけあって、直接体内に入るもの、尚且つ人の役にたて、真剣に作業した。
8.9. 最初は、洗浄工程を覚え、検査工程、ラベル工程、検査機工程も覚えるようになる。信頼を得ると、調製工程もやらせて頂けるようになった。
8.10. 製薬を作れる作業。決められた数量を調合していく。完璧主義者な私にはあっていたし、楽しかった。
8.11. 大体、ライン工程には15人の人数で行う。白衣のような決められた洋服を毎回着衣する。充填室だけは、無菌室のため違う洋服だ。
8.12. 調製を任された日は、その作業は大体午前中に終わるので、容器を洗浄する部屋に送る作業をする。
8.13. 毎日13万本の製品が出来ていく。給料は大体22万ぐらい。週休2日。早番、遅番があった。
8.14. 早番で13万本終わらなければ、遅番が終わらす。早い時は5時ぐらいに終わるが、なにかトラブルがあると遅番は帰れない。
8.15. 早く終わった時はデスクワークをする。主に、作業工程の手順書の改定など今まで、経験したことのないことを覚えれた。また、在庫発注などの役も教えていただいた。
8.16. 人間関係はだいぶ良好。一人ひねくれ者がいたが、他の方々は仲良かった。
8.17. 社員はほぼ、大学や高専上がりなため、頭が良かった。以前は、大卒の奴らは頭は良いが仕事は出来ないと思っていたが、違かった。
8.18. 同世代のみんな、頭のキレが良かった。言いたいことをすぐ気づいてくれたり、素早い返答などなど
8.19. 同級生の一人に記憶力がすごい奴がいて、どう覚えているか聞いたら、頭の中で色で覚えてると言われ、天才は違うなと思ったのを覚えている。
8.20. 社員になるにはまず3年勤めないと権利がなかった。しかも、SPIという大学試験問題も提出されるみたいだった。
8.21. 正直、問題集を見て、なんも言えなかった。数学は好きだったが次元が違った。
8.22. ただ、面接まで行ければどうにかなると思っていた希望が失せてしまった。
8.23. 理由は、社員も仕事を聞いたり指示したりする、先輩契約社員の方が落ちたのである。
8.24. 今ならわかるが、どの企業も仕事が出来る人より頭が良い人を取るんだと思うようになる。
8.25. そういうモチベーションが落ちていた時に・・・東日本大震災にあってしまう。
8.26. 当時、先輩社員と用水機械室という部屋で作業していた。突然強い揺れを感じ、先輩と一緒に階段の手すりに捕まった。
8.27. ものすごい揺れだった。立っているのもままならない。数分後おさまったが、周りを見ると水浸しだった。
8.28. 後に聞いたら、先輩といた場所は死んでもおかしくなかったみたいだ。天井がもう少しで落下していたと・・・。
8.29. 不幸中の幸いで、死者は出なかった。怪我をした人は少しいたが、よかった。
8.30. それから、従業員全員外に出るよう放送が入る。
8.31. みんなが恐怖のあまり震えている。私はまず、家族の心配をした。携帯がつながらない。
8.32. 3人目がお腹に居て、二人の兄妹がいたので妻が心配だった。
8.33. 数十分後、とりあえず、安否の確認が出来た。
8.34. 工業団地内の工場で窓ガラスが全て割れてしまう会社もあったみたいだ。
8.35. それから、会社の休業と同時に違う仕事を探すこととなった。
8.36. 当時
8.36.1. 株の他に不動産投資に興味が出てくる。きっかけは貧乏父さん、金持ち父さんという本だった。
8.36.2. どうやら、上手くいくと、不労所得という働かなくても所得がもらえることを知る。
8.36.3. なにをしたらよいのか、わからなかったので、サチン・チョードリーさんや北川さんのセミナーを聞きに行く。
8.36.4. 話している内容は、オリンピックまでに資産1億を目指すとのこと。参加費が100万。手が出なかった・・・。断念。
8.37. 学んだこと
8.37.1. 人間はいつか死ぬ。どうせなら、好きな人と幸せを共有して死にたいと思う。人間関係は一番良好だった。
9. 社会人8~12年目 25~30歳
9.1. 間もなくして、仕事が決まった。カスタマーエンジニアという響きに惹かれてしまった。初めてのサービス業だった。また、家から近かった。
9.2. 面接して頂いた方の右腕になりたいと話していく中で思った。しかし、のちに価値観の違いにより溝ができる。
9.3. OA機器全般扱い。主に工事現場のハウス事務所にコピー機などを納品する作業。給料22万。隔週2日休み。祝日休み。9時~18時まで。
9.4. 面接して頂いた方がその営業所の所長っだた。事務2人、EGが2人、アルバイトが1人、パートさんが4人いた。
9.5. 最初はコピー機の重さにびっくりし、慣れるまで筋肉痛が収まらなかった。
9.6. 慣れてくると体の使い方が上手くなりそこまで重く感じなくなる。
9.7. 始めは、先輩と同行して行き、作業内容を覚える。覚えることには自信があるので、そこまで苦ではなかった。
9.8. だが、先輩に俺上に上がりたいとかいう気持ちないんだよねって初日に言われた。
9.9. おかしな会社に入ったと後悔した。
9.10. 正直、出来るならちゃんとした方に教えて貰いたかった。
9.11. 当時は男は出世してなんぼだと思っていたので、この人から教わることがなかった。
9.12. 別の年下の先輩と同行するようになると、要領よく効率良く楽だった。
9.13. 初日に同行した先輩は要領が悪く効率が悪かった。
9.14. 悪口なんて言いたくないが、目に見えて明らかだった。私が、働いた期間で定時にあがったのは2回だけしかみたことがない。
9.15. 今思うと、生真面目な方のため、後輩に指示が出せない為、効率が悪かったのかと思う。
9.16. 納品作業や搬出作業に慣れてくると、今度は修理に行くようになる。機械を納品しているので調子が悪くなることもある。
9.17. 最初はなにが悪くてこうなるのかとかわからず、試行錯誤しながら覚えた。
9.18. 修理では、理不尽なお客様もいた。早く来いだの、ぶっ壊すぞだのいろいろ方にあった。こちらの予定なんてお構い無しだ。
9.19. ただ、出来るだけ早く行くように心がけた。ポイントはあえて遅い時間を言い、それより早いとお客様の機嫌が良くなる。
9.20. その時思ったのは、こういう大人になりたくないと思うと同時に、こういう方と仲良くなってしまえば、後々楽だなと思うようになる。
9.21. 幸い、お客様の懐に上手く入れる技術を身につける。どうやって手に入れたかは謎である。
9.22. 所長と同行するようになるといろいろ教えてもらえた。
9.23. 仕事は出来る方だったが、抜くときは抜くといったメリハリがあり、尊敬した。
9.24. 大体、1日3~4件納品や搬出に出かける。県外便と市内便とその日の予定を前の日決めておく。1便2人で行動する。
9.25. 予定の把握は先輩がおこなっていたが、途中で後輩の先輩に変わっていった。
9.26. 後輩の先輩は族上がりだったが、仕事は上手におこなう方だった。
9.27. その頃から、所長との関係に溝が入り始める。
9.28. きっかけは、筋が通っておらず、発言に矛盾が生じるようになっていく。
9.29. また、所長という立場で自分が偉いと勘違いし始めた。
9.30. 後輩の先輩とアルバイトと私の歳が近かったこともあり、仲良く上手に付き合えていたので、俺達で営業所を良い方向へ変えていこうと考えていて、頑張っていこうと話していた。
9.31. しかし、後輩の先輩が嫌気が差し退職してしまった・・・。
9.32. それから、出来ない先輩と所長の間に挟まれ、体を壊してしまう。原因はストレス。
9.33. 妻にも迷惑をかけた。恐らく病んでいた。当時はまだ辞めるという選択肢はなかったが、すぐにでも投げ出したかった。
9.34. だが、仕事を放棄するようなことはしたくなかったので、がむしゃらに働いた。
9.35. お客様と会話している方がだいぶ、楽だった。逃げていたのかもしれない。
9.36. それから、後輩が出来た。その後輩は先輩をリスペクトするようになる。
9.37. 病んでいたので、後輩まで面倒見てる環境でも気分でもなかった。
9.38. アルバイトの子が唯一の存在だった。考え方、価値観が近かった。
9.39. だが、所長にサラリーマンに向いてないとある時言われた・・・。絶句した。
9.40. 理由は、単純に所長が前の所長にしてたみたいに私がしないからであった。私にしてみれば、押し付けもはだはだしかった。
9.41. 挨拶は上司より先に。おべっかを使う。ごまをする・・・。そうやってまで出世なんてしたくないと思った。なんで同じ売上に向かっている仲間なのに、機嫌とらなくていけないんだ。
9.42. 挨拶なんてどっちからしたって良い、尊敬が出来る方なら喜んでゴマもすります。
9.43. 背中で語るのではなく、言葉に出しちゃう人だったみたいで、幻滅した。
9.44. それから、私は起業するために会社をやめた。
9.45. 最初はFXをやろうと思っていたが、妻を説得できなかった。
9.46. どうしても、リスクを先に考えてしまう。教材も購入したり、マックス岩本さんに会いに行ったのに・・・。
9.47. それから、ネットサーフィンをしているとアフェリエイトやインターネットビジネスでも不労所得が出来ると知る。
9.48. 今に至る
9.49. 当時
9.49.1. 7つの習慣という本に出会った。
9.49.2. 人との出会いや接し方など凄く勉強になった。
9.49.3. おそらく、この本を読み上司と価値観に違いが出てきてしまったのだと思う。
9.49.4. コピー機の研修で舞浜に行っていた時に、電車の広告で与沢翼さんを知ることとなる。
9.49.5. その時は正直胡散臭さしかなかった。あの時信じて見れば違う未来があったのかも知れない。
9.50. 学んだこと
9.50.1. 人の価値観は時として、暴力となる。ストレスで病気になる。身にして体験した。
10. バイト経歴
10.1. 高校1年 夏休みに友達と一緒に工場で働く。
10.2. 高校2年 3学期高速道路のガソリンスタンドで働く。
10.3. 専門学校時代 カラオケ屋で働く。
11. 2016/04/19 作成
12. 私生活
12.1. 結婚
12.1.1. 妻と2005/09/25に入籍をし、12/17結婚式を挙げた。
12.1.2. あんな出会いで結婚するとは思ってなかったが、縁があり結婚させて頂けた。
12.1.3. しかし、私は、ふとこいつと結婚するなと直感的に感じていたことがあった。
12.1.4. なんだかんだで、大好きだったのかもしれない。
12.1.5. プロポーズし忘れていることを未だに言われる。新婚旅行でも行った時に言いたい。
12.1.6. 妻と結婚と思ったのは、妻の両親関係見て、すごく憧れた。夫婦とはこういうものなんだと理想となっていった。
12.2. 長男生誕
12.2.1. 工場勤務していて丁度夜勤の休憩をしている時に陣痛の連絡が入る。
12.2.2. 工場の中は携帯の電波が圏外になってしまうので、タイミングが良かった。
12.2.3. 正直立ち会う気でいたのだが、男は無力だということを痛感する。
12.2.4. 何も分からず、背中を強く押しても、全然強さが足りない。怒られた。
12.2.5. 子宮口がなんcm開くたびに妻の親に連絡をしていた。夜中なのに申し訳なかった。
12.2.6. 2006/02/08 2878g 50cm am5時16分 無事産声をあげた。
12.2.7. 母子ともに健康。女性は偉大だ。男には耐えられないと思う。
12.2.8. 妻には感謝しかないし、生命が誕生する経験をあたえてくれて感謝している。
12.2.9. 初めての子ということで、手探りで育児が始まった。大人しく手がかからない子だった。
12.2.10. 夜泣きもそこまでぜず、昼間もほとんど泣かなかった。きっちり三時間起きに起きて、ミルクを飲んだら寝ていた。
12.2.11. 可愛かったし、私にしか似ていないと良く言われたな・・・。
12.2.12. やがて、大きくなり、感情が出てくる。
12.2.13. しかし、私が若かったせいで、少し厳しく育てすぎてしまった。
12.2.14. 長男は厳しく育ててしまったせいで、顔色を伺う気の使う子どもになってしまった。
12.2.15. 気が小さく、内向的、心配しかなかった為、まず喋れるようになってからは、怒られても泣くなと教えた。
12.2.16. 理由は、泣いたら話にならない。将来、標的にされいじめられると思ったからである。
12.2.17. 妹が出来てからは、なんでも妹に先にやらせる。妹が出来てあぶなくないとわかるとやるようになる。
12.2.18. 吊橋を叩いて叩いて渡らないタイプ。危機能力が高いのかもしれない。
12.2.19. 自分が初めておこなう作業が苦手な為。やってから出来る出来ないを決めろと教えていく。
12.2.20. 現在、小学5年になる息子。だんだん強くなり、友達にも恵まれ毎日楽しそうだ。
12.2.21. 性格
12.2.21.1. 温厚。負けず嫌い。泣き虫。八方美人。顔色伺う。頭は良い。運動神経が良い(球技のみ)
12.3. 長女生誕
12.3.1. こちらも工場勤務時。朝起きたら嫁にお印がきた。すぐに病院に直行。
12.3.2. 一人目に、一度経験しているので、男の無力さには慣れた。指示通り動くことしか出来ない。
12.3.3. 無事、二人目も立ち会うことが出来た。
12.3.4. 2007/09/21 3398g 50cm am9時30分 無事大きな産声をあげる。
12.3.5. 母子ともに健康。妻に感謝した。
12.3.6. 長男と違い、女の子だからか手がかかった。
12.3.7. 夜泣きもするし、昼間も泣きやまない。長男の時が楽だったせいで、妻が大変そうだった。
12.3.8. 長男の時にきつく育ててしまったことを後悔したので、なるべく怒らないように気をつけた。
12.3.9. 長女は率先してなんでも行動する。上がいるせいか、効率が良い。
12.3.10. 兄妹がいると、こうやって学習をしていくのだと思った。
12.3.11. 現在、小学3年となった娘は、長男が出来ないことにどんどん挑戦していく。活発な女の子に育つ。
12.3.12. 女の子のいじめは陰湿なのでそれだけが心配だ。
12.3.13. 性格
12.3.13.1. 面倒見が良い。優しい。負けず嫌い。運動神経が良い(球技を除く)
12.4. 次男生誕
12.4.1. 次男を授かったのは、製薬会社に勤めている時だった。
12.4.2. 3人目は絶対に欲しいと思っていたが、なかなか授かれなかった。
12.4.3. ある日、長男がママのお腹に赤ちゃんがいる。・・・驚くことを言った。性別までわかっていた。
12.4.4. 案の定、授かっていた。子どもって凄い力を持っているのだと聞いたことはあったが、まさか長男がそんなことを言うとは思ってもいなかった。
12.4.5. 2011/04/28 3294g 50cm am0時55分 産声をあげる。
12.4.6. 母子ともに健康。神様に感謝した。
12.4.7. 3人目ともなると、慣れてくるのと、私達夫婦に余裕が出てくるので、適当になる(笑)
12.4.8. 好きなようにさせた結果。ワガママになり、強くたくましく育ってしまった。
12.4.9. 怒られても屁でもなく、ケンカで長女を泣かす。長男にも噛みつく。
12.4.10. 今年から、幼稚園年中から入園した。上手くやっていけるのか私達の心配の種である。
12.4.11. 性格
12.4.11.1. 笑顔。ワガママ。マイペース。負けず嫌い。人見知り。
12.5. 変化
12.5.1. 結婚するまでは、働くきなんてさらさらなかった。仲間内といるほうが楽しかった。
12.5.2. 妻と出会い、結婚してから、考えが変わった。養う立場になり、親の大変さがわかるようになっていった。
12.5.3. 子どもが出来てからは、父親とも連絡を取るようになり、なんとなく親子に戻れた気がした。
12.5.4. そういう意味では、子どもたちに感謝。また、一緒に成長させてもらっているので、ありがとう。
12.5.5. 子ども達と接しているうちに、だんだんと今後を考えるようになった。
12.5.6. この世の中で、子どもの成長を1から100まで見れる方ってどのくらいいるのだろう・・。
12.5.7. また、現実的に、これからどれくらいお金が必要なのだろうと・・・。
12.5.8. 正直、結構した時から、その不安は消えない。なぜなら、マイナスからのスタートだからだ。
12.5.9. 国から借りたお金を返したり、詐欺に合い、残ったローン返済。絶望だった。
12.5.10. 希望は、なにも文句を言わず、着いてきてくれた妻と子ども達だった。
12.5.11. それから、必死に働きながらも、なぜか疑問が出てくる。なぜ家族のために働いているのに、家族との時間を取れないのかと・・・。
12.5.12. なにかお金を効率良く稼げる方法やビジネスはないのかを探した。
12.5.13. この頃に株式投資などに興味を持ち始める。
12.5.14. いろいろなノウハウで勉強した。
12.5.15. 衝撃的だったのは、貧乏父さん、金持ち父さんという本を読んだ時だ。お金の知識がないとお金持ちにはなれないことを知る。
12.5.16. それからは、お金の知識をつける為に勉強をした。
12.5.17. 本通り、不動産投資などに投資出来る余裕がなかった為、知識としては覚えておく。
12.5.18. そして、インタービジネスというネットビジネスにたどり着く。成功者が言うには0資金。ノーリスク。ハイリターン。だった。
12.5.19. いつしか、起業したいと思うようになっていった。
12.5.20. これが成功すれば、自由。家族と入れる時間がたくさん出来ると思う。
12.6. 子育て
12.6.1. 方針
12.6.1.1. 私達夫婦は子どもたちが立派な社会人になれるようにアシストしかしない。
12.6.1.2. 3人に決まって言っていること
12.6.1.3. 怒られても泣くな!!出来ないからと言って泣くな!!泣く暇があるなら言いたいこと言え。
12.6.1.4. やられたらやり返せ!!先に手をだすな。
12.6.1.5. パパはそんなに怒らないけど、ママの言うことが聞けない時は怒るよ。但し、危ないことをしたら怒る。
12.6.1.6. 自分がされて嫌なことは、相手にもするな。
12.6.1.7. 相手の気持ちを考える。
12.6.2. 常に子どもの目線で、話をする。
12.6.3. なんでも話をする。
12.6.4. 何事も積極的にさせる。
12.6.5. 初めてのこともやってから悩め。やるまえから悩むな。
12.6.6. 子ども一人一人に個性があり、育て方も変えていかないといけないが、兄妹で競わせるようにしている。
12.6.7. 順位をつけることによって、自分の中でどうやったら勝てるかを考えるようになる。
12.6.8. 良い所を伸ばしてあげ、悪い部分は考えさせる。
12.6.9. 頭ごなしに、感情的に怒らないと決めているが、なかなか出来ていない。
12.6.10. 親子と言うよりフランクな友達みたいな関係。
12.6.11. 理由は、若く結婚したため、親らしいことを出来てない。ましてや、子どもから教えて貰え、学ぶことがたくさんある。
12.6.12. なので、うちでは、名前で呼び合っている。
12.6.13. 大切にしていることは、休みの日はどっか公園に出かけて思いっきり遊ぶ。
12.6.14. 遊ぶときは一緒に遊ぶ。ゲームも一緒にする。
12.6.15. ただ、長男が大きくなってきたので、一緒に出掛けてくれなくなった。
12.6.16. また、学校でなにがあったか聞くようにし、いつでも向き合える状態にしている。
12.6.17. 最近はいじめとか多いので、コミュニケーションを取るようにしている。
12.6.18. 正直、子育てに正解、不正解はないと思っている。
12.6.19. だが、死ぬ前に、私達夫婦の子どもでよかったと言ってもらえた時初めて子育て成功だと思っている。
12.7. 趣味、特技
12.7.1. サッカー、テニス、ボーリング、麻雀 体を動かしたり、頭を使ったりするのが好き。
12.7.2. 子どもと全力で遊ぶ。
12.8. 好きな言葉
12.8.1. ありがとう。
12.9. 嫌いな言葉
12.9.1. 常識。
13. 抱負
13.1. 今年1年が本当の勝負の年!!やるかやらないかは自分次第。
14. 目標
14.1. 今年1年で、経済的、精神的自由を手に入れ羽ばたく。
14.2. 新婚旅行をハワイに行く。
14.3. 家族を絶対に幸せにする。
14.4. 妻の両親やじーちゃん、ばーちゃんにもお世話になりっぱなしなので恩返しをする。
15. ビジョン
15.1. 自分与えられた時間を有効活用し、1ヶ月以内で収入源を確保していく。
15.2. 自分の価値を見出し、付加価値をつけていく。
15.3. どうやって?
15.3.1. 成功者のコミュニティーで私を知ってもらう。
15.3.2. 自分の魅力をつけていく。
15.4. 成功して手に入れられるもの
15.4.1. 人脈。コミュニティ。マインド。
15.4.2. 経済的、精神的自由。
15.4.3. 自分の周りを幸せに出来る。
15.4.4. 会社員だけが仕事ではないという、確たる証明。
16. 価値
16.1. 私が世の中に提供していきたいと思っていることは、早いかはわかりませんが19歳で結婚、子育てを経験してきました。それを含め、今の若い子達にその経験を提供して行きたい。また、主婦が仕事で一番大変だと思っているので(主夫)を経験してわかって来た(笑)のでもっと男性にわかって貰いたい。そして、結婚とは良いものだとわかってもらう。
16.2. ターゲット
16.2.1. 若く結婚した方々、また、したい方、育児に興味ない男性、またはその旦那の妻、結婚しない方々
17. 与えられるもの
17.1. 全体的に悩んでいる方の悩みにのっていきたい。
17.1.1. まず、若いうちに結婚した方には早く結婚をすることのリスクの警鐘
17.1.1.1. 1,遊びたくても遊べない等の周りと違う生活等が出来るのか?
17.1.1.2. 2,若いうち=できちゃった婚が連想されてしまうため、経済面のリスク
17.1.1.3. 3,よく言う世間体、ままごと、冷ややかな目で見られても耐えられるのか?
17.1.1.4. 4,一時の感情で結婚をしていないか?
17.1.1.5. 5.本当に後悔をしないか?一生一緒にいれるのか?
17.1.1.6. 6,それらを乗り越えた結果、なにが待っているのか?等々は教えていきたい。
17.1.2. 早く結婚するメリット
17.1.2.1. 1,子育てが終わった時に旦那、妻との青春が待っている
17.1.2.2. 2,子育てが早く終る
17.1.2.3. 3,経済的にゆとりができる
17.1.3. 主夫になって感じたこと
17.1.3.1. 一生のうち、子どもの成長をどのくらい見れていますか?などの訴える系ずっと子どもといると成長も感じられ、また、妻の大変さがわかる。
17.1.3.2. 働く女性が増えてきて、共働きが主流になってきている世の中で、お互いの協力がないと成り立たない。
17.1.3.3. そういった中で、男性はなにが出来て、女性はなにをしてもらいたいのか?昔みたいに、女性が家庭のことをし、男性は働いて家庭をかえりみない夫婦に注意を喚起。
17.1.3.4. イクメンと呼ばれる方が増えてきているので、育児の楽しさを教えてさらに増やしていきたい。
17.1.3.5. 主夫になると収入源がなくなり、不安になっていくと思うので、自宅で出来る仕事?などを紹介
17.1.3.6. 現在、バイナリーオプションにて収入を確保出来れば、そういったことも教えていければと思います。